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走れ!バカップル列車 第93号 ななつ星in九州 阿蘇〜博多 |
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三 ミネさんにお願いした写真は由布院駅の前と後とで二カット撮ってもらう。 ひとつめの撮影地が近づいてきた。展望窓近くに椅子を二脚持ってくる。窓からの光があたり、外からでも車内の自分たちが明るく写るだろう。「ただいま湯平通過。こちらスタンバイOKです!」ミネさんにメールを送った。 走行中の同じ列車を二回撮ることなどふつうはできないが、九州の撮影地を知り尽くしたミネさんは由布院駅の前後ならできると計算してくれた。理由のひとつはななつ星が由布院駅で十一分停まるから。もうひとつは、久大本線は由布院駅を市街地に近づけるため、由布院盆地を「つ」の字型にぐるりとカーブしているからである。「つ」の上端と下端をショートカットすれば、大きく遠回りする列車に先回りすることができるという。 一四時二八分、由布院のひとつ手前の南由布を通過した。ひとつめの撮影ポイントは南由布〜由布院間の田んぼの中で、由布岳をバックに列車が撮れる。ここではカメラ目線にはせず、そしらぬ顔で外の景色を眺める。本当は見る方向が正反対だが、まるで由布岳を見ているような写真になるはずだ。 「みちゃん、用意はいい?」いまかいまかと待ち構える。「大丈夫」みつこさんが前を見つめたまま答える。「あっちの方だよ」「わかた」 地図で確認したあたりに近づいた。ここだ。二人でにこやかに同じ方向をみる。笑顔がどうしても引きつってしまうが、いまはガマンだ。視界の隅っこでミネさんがカメラを構えている。列車は走り続け、ミネさんの姿が豆粒みたいになったところで両腕が大きな輪になるのが見えた。みつこさんと二人で拍手。14時33分、由布院駅三番のりばに着いた。 「ゆふいん」は、漢字で書くと「由布院」が正しいのか、それとも「湯布院」か。 じつのところどちらも正しい。もともとは由布という地名があり、由布院村、由布院町があった。北由布駅が由布院駅になったのは一九五〇年である。そして一九五五年に湯平村(ゆのひらむら)と由布院町が合併して湯布院町になった。しばらくの間、自治体の名前が湯布院、駅名は由布院という状態が続いた。二〇〇五年に湯布院町は周りの自治体と合併して由布市となった。ふたたび「由」で揃うことになったが自治体名から「院」がとれた。温泉街としてはいまでも広域の呼び名として湯布院温泉と呼ばれ九州でも随一の人気を誇る。 せっかく温泉地に来たのだから街に出てゆっくりしたいが、ななつ星の停車時間は十一分しかない。 定刻14時44分になり、ななつ星はゆっくりと発車した。ホームにいる乗客がみんなこちらに手を振ってくれる。みつこさんは目に飛び込んできた人たちひとり一人に手を振っている。足湯のある一番のりばには特急「ゆふ3号」の赤い車体がある。駅構内の何本もの線路が一本に集まって本線に出た。 「つ」の字型に大回りして線路の向きが一八〇度変わったので由布岳が真正面に見える。雲がかかっているが、猫の耳が並んでいるような特徴ある山頂付近がなんとか顔を出している。 由布院駅を発車したころ、ミネさんから移動完了のメールが届く。ふたつめの撮影ポイントは由布院から二キロ近く西へ進んだお寺の脇だという。一、二分で着くはずだ。方向が違うので画角に由布岳は入らないが、車両の編成がきれいに撮れる場所らしい。 こんどはよそよそしい演技はやめて、ミネさんに思いっきり手を振ることにする。ほどなくしてカメラをかまえるミネさんが見えた。 「ミネさーん!」「ミネさーぁん」声は聞こえないだろうが両手で大きく手を振った。シャッターを切ったミネさんもファインダーから顔をあげて手を振ってくれた。 「バッチリ!」のスタンプが届いた。「ありがとう」と返信する。この撮影のために休日を一日使って何百キロもの移動をしてくれたミネさんには大感謝だ。「こんどは西九州新幹線を撮りにいきましょう」メールには近日中の再会を約束する一文を添えた。 しばらくそのまま後方の車窓を眺める。隣の野矢までの駅間は一〇・九キロ。この間に水分(みずわけ)峠を越える。坂を登り、トンネルをいくつか抜ける。最後に全長一八六〇メートルの水分トンネルがあって、トンネルの真ん中あたりが久大本線で一番高い標高六〇七メートル地点となる。峠はその名のとおり、大分川流域と筑後川流域を分けている。今日の旅程は分水嶺を行ったり来たりだ。午前に有明海に注ぐ白川流域から別府湾に注ぐ大野川流域へ峠を越え(坂ノ上トンネル)、午後には別府湾に注ぐ大分川流域から有明海に注ぐ筑後川流域へ分水嶺を越えている。道も険しい。現代の新型機関車は力強く走ってくれるが、蒸気機関車の峠越えは機関士も車掌も乗客もたいへんだったろう。 ときにトンネルをくぐり、ときに鉄橋を渡り、右へ左へと曲がりながら列車は峠道を下ってゆく。谷が開け玖珠(くす)盆地に入る。家並みが出てきて玖珠町の中心街近くに豊後森駅がある。久留米〜大分間のほぼ真ん中あたりにあってかつては大きな機関庫もあった。童話作家久留島武彦の出身地としても知られる。15時19分着、15時22分発。ホームに大きな赤い鳥居があった。みつこさんが手を振る人たちに手を振り返している。 谷が再び深くなり、緑のトンネルが増えてくる。桜並木で有名な豊後中川を通過した。五月なので葉は青々としている。 日田は日田彦山線の運転系統上の終点駅である。日田彦山線は小倉近郊の城野から添田を経て日田の二つ隣の夜明までをほぼ南北につなぐ路線だ。線路は夜明で分岐するが列車はすべて日田駅まで乗り入れていた。二〇一七年の九州北部豪雨の被害を受け、添田〜夜明間が永らく不通となっている。鉄道での復旧は断念し、二〇二三年夏にBRT方式のバス路線になるという。熊本地震といい、集中豪雨といい、九州も甚大な災害に悩まされている。いま走っている久大本線も二〇一七年、二〇二〇年の豪雨で二度の運転見合わせを余儀なくされた。特急「ゆふいんの森5号」とすれ違い、15時53分に発車。みつこさんは去りゆくホームの人たちに手を振り続けている。 |
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