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走れ!バカップル列車 第93号 ななつ星in九州 阿蘇〜博多 |
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四 前年(二〇二一年)に放送された原田知世主演のドラマ『スナック キズツキ』に夜明駅のエピソードが出てくる。塚地武雅扮するしがないサラリーマンが若いころ夜明駅で夜明かしをしたという話だ。ただその駅名に惹かれて出かけたんだそうだ。言われてみれば、どんな駅か行ってみたくなるような駅名であるが、私は夜明駅どころか久大本線に乗車すること自体、きょうが初めてである。鉄道オタクの風上にも置けない怠惰ぶりだ。 その夜明駅に停車するころ、みつこさんと私は一号車「ブルームーン」へやってきた。一六時十五分ごろから旅のしめくくりのフェアウェルパーティーが開催されるので、吉村さんに「必ず来てください」と言われていた。機関車側の展望窓の前にスクリーンが出てきて、昨日からついさきほどまでに同行カメラマンが撮影した写真をスライド上映してくれた。 みつこさんの笑顔や私の間抜け顔まできちんと写真にうつっていた。いつの間に撮ったんだろうというものまである。さすがプロだと感じたのはどの乗客もまんべんなく上手に撮れていることだ。しかもここまでの非常に短い時間で編集作業まで終えている。私たちがパスした阿蘇の草千里の様子も堪能できた。スライドが入れ替わるたびに歓声があがったり、笑いがもれたりする。昨日のことがはるかむかしのことのようだ。一泊二日の旅を振り返るパーティーは二十分ほどでお開きとなった。名残惜しみながら一号車を去る。この二日間当たり前のように見ていた格子の天井も、大川組子の障子窓も、有田焼の絵皿も、これで見納めである。 七〇一号室に戻り、一息つく。あとは去りゆく風景を眺めながら博多に着くのを静かに待とう……。そう思いかけたところへみつこさんが重要な一言を放つ。「荷物かたづけなきゃ!」 一気に現実世界に引き戻された。夢の時間は終わっていたのである。室内に散らかした荷物をまとめなければならない。なにしろ靴まで持ち込んだのだ。「ひとつまでならこちらの荷札で送れますから」吉村さんが小包の荷札を持ってきてくれた。持って帰る荷物、送る荷物を分けて整理する。てんやわんやだ。博多まであと四十五分しかない。 荷造りはかなり手こずった。慌てるとなかなかうまくいかない。「大丈夫ですか?」心配した吉村さんが何度も来てくれる。南久留米に停車し、久留米から鹿児島本線に入った。博多まであと三十分。そうこうするうちに荷物はどうにかまとまった。送る荷物は部屋に置いたまま下車すればいいらしい。ほっと息をつく。「やっぱり鹿児島本線は乗り心地がいいね」などと浮かれた感想がいえる程度にはなった。 二人で展望窓のそばに座る。七号車が最後部になる時間は約四時間だが、二人揃ってなんにもしないで景色を眺める時間は長くはなかった。写真を撮ったり、おやつを食べたり、なかなか行動が揃わないものだ。気がつけば窓の外は都会の様相。普通電車だけが停まるローカル駅を次々通過してゆく。白い電車とすれ違った。「あれ、なに?」みつこさんが訊ねる。「白いかもめ、かな?」博多16時55分発、長崎行き特急「かもめ31号」だろう。踏切を待つ人たちが手を振ってくれる。みつこさんがひとり一人に手を振って応えている。 博多駅一番のりばはまるでお祭りの様相だ。17時31分にななつ星が到着すると下車したばかりの乗客、見学客、クルー、駅員、いろいろな人たちで溢れかえっている。ゆっくり名残を惜しむ暇もない。 「出口までご案内します」吉村さんは最後の最後まで私たちの世話をしてくれる。 「ひろともさーん、みつこさーん」おくのさんの声が近づいてきた。 私のオタク仲間さとしくん号のお母さんで、もう二十年以上のおつきあいになる。いま福岡にお住まいなので今日ななつ星で博多に着くと声をかけたところ、お忙しい合間を縫って出迎えに来てくれたのだ。さとしくん号は「急行かすが」(バカップル列車第15号)のときはちびっ子だったが、二十年も経てば大人になってお母さんとはここ何年かは別行動であるらしい。 おくのさんの弾丸トークに吉村さんがびっくりしているので「お友達です」と紹介した。「では一緒にいきましょう」といって即席の四人組で改札口に向かう。できればななつ星が車庫へ回送されるところを見送りたかったが、この様子ではむつかしそうだ。 二日間とてもよくしてくださったクルーの吉村さんに別れを告げ、おくのさんと私たちは福岡の街に出た。ここにミネさんも呼びたいところだが、きょうは博多までは来られないのでまたの機会を待つしかない。十七時過ぎに無事に帰宅したとメールが届いていた。 三人の宴の場所は、「稚加榮の明太子が食べたい」という私のわがままで稚加榮になった。入口脇に売店があって明太子があるのを確認。帰るときに忘れずに買わないといけない。 おくのさんと実際に会うのもひさしぶりだ。福岡に越してからは初めてだろう。こちらでの暮らし、さとしくん号の近況など話はつきない。最初に注文した会席料理だけでもかなりの量だったが、調子に乗ってイカのお造り、イカげその天ぷらまで注文してしまったものだから、またしても満腹になった。博多に近づく車内でしばらくは粗食につとめようと誓ったあの話はどこへ行ったのか。 ひとしきりおしゃべりしてたくさん食べて大満足だ。ところが売店を覗いてみたら料亭より先にちゃっかり店じまいしていて、一番肝心の明太子は買えなかった。 【追記】 ななつ星に乗車したのは二〇二二年五月十四日・十五日であるが、その旅行記を書き終えたのは二〇二六年四月。四年のときが過ぎてしまった。本文に出てくる列車の愛称名、時刻、駅名などはすべて二〇二二年五月当時のものである。 この四年に九州の鉄道地図もずいぶん変わった。 いちばん大きな変化は西九州新幹線の開業だろう。私たちがななつ星に乗車した四か月後の二〇二二年九月二三日に武雄温泉〜長崎間の六九・六キロが開業した。同時に博多〜長崎間を直通する特急「かもめ」は廃止され、その愛称名はそのまま西九州新幹線に引き継がれた。博多〜長崎間の所要時間はおよそ二時間から一時間二〇分まで短縮された(武雄温泉で乗り換え)。特急列車が走らなくなった長崎本線江北(旧肥前山口)〜諫早間は線路の所有者がJRから切り離され、電線も撤去されて非電化区間となっている。 久大本線は、翌二〇二三年七月の大雨で一時的に運転を見合わせていた。同年八月二八日には日田彦山線の添田〜日田間がバス路線である日田彦山線BRT(BRTひこぼしライン)として運行を開始した。 ななつ星の車両は二〇二二年十月にリニューアルされた。二号車はダイニングカーからサロンカーへ、三号車は一部がショップやバーへ、四号車と六号車の客室が三室から二室になった。編成全体で客室は十四室から十室(定員二〇名)に減少し、料金も引き上げられた。この改装で各客室に内線電話が設置されたという。 ミネさんに撮ってもらった写真はバッチリ撮れていた。とくに由布岳のポイントでは車内の私たちがしっかり見えるよう、わざと撮影位置をずらしたりして細かい技を駆使してくださった。みつこさんも良い記念になるとよろこんだ。ミネさんとの再会は西九州新幹線開業間もない十月だ。長崎を中心に撮り鉄、乗り鉄を楽しんだ。 個人的にはこの間、写真の個展を二つ開催した(二〇二四年、二〇二五年)。写真の作品づくりに気をとられ、文章が疎かになったのは否定できない。 |
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