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走れ!バカップル列車
第93号 ななつ星in九州 阿蘇〜博多



   一

 9時43分の宮地行き下り普通列車が発車すると機関車の連結作業がはじまった。ななつ星の周りには地元の方や鉄道好きの子供たちが集まってきて、そのようすを眺めている。中には昨日のしんぺい君みたいに「制服」を身にまとっている子もいる。担当車掌はニシヤマさん。つなぎ姿も凜々しく、テキパキと仕事を進めている。乗客は車内に戻るように言われているのでみつこさんと私は七○一号室の展望窓からその様子を見届ける。作業は十分ほどで完了。カチャンという音とともに機関車と客車が再びつながる。連結器から軽い衝撃が伝わってきた。
 10時01分、ななつ星は阿蘇駅を発車した。ホームから見学してくれる方たちが手を振って列車を見送ってくれる。列車はこの後、豊肥本線を東へ走り、大分から久大本線を西へ走り、久留米から鹿児島本線に入って夕方に博多へ着く。
 ミネさんによると私たちの乗車写真は由布院駅の前後で撮影するという。移動のため、ミネさんはななつ星の阿蘇駅発車を待たずにクルマを走らせた。鉄路と違って阿蘇から由布院までショートカットできるとはいえ、阿蘇の外輪山やくじゅう連山の山裾などいくつも山を越えなければならない険しい道のりである。少なくとも二時間はかかるだろう。安全運転で撮影ポイントに着いてくれることを願う。
 列車はカルデラ盆地を快調に走る。機関車と客車の隙間からギザギザとした阿蘇五岳がみえる。宮地を通過すると豊肥本線の線路は二キロぐらいの逆S字カーブを描く。外輪山の東は、西の立野と違って外輪山が切れていないので力技で山を越えないといけない。鉄道は逆S字を描くことで少しずつ外輪山の裾野に近づき、じわじわと坂を登って行くのである。右側には崖が立ちはだかり、左側には先ほど走ってきたカルデラ盆地を見渡す。
 三百メートルから六百メートルほどの短いトンネルをいくつか抜けてゆく。どこだったか、トンネル通過中、展望窓にバシャバシャと水が滴ってきた。ただの水ではなく泥とか石灰とかが混ざっていたようだ。水は乾いたがその跡が灰色に残り、三十億円の額縁が少々汚れてしまった。
 豊肥本線主要駅の標高は、立野二七七メートル、隣の赤水が四六五メートル。この標高差を克服するためにスイッチバックがある。阿蘇は五二一メートル、宮地は五三八メートル。カルデラ盆地内はほぼ平坦であることがわかる。
 これに対して、外輪山を貫通する坂ノ上トンネル(全長二二八三メートル)の入口は標高七二〇メートルあたりにある。宮地から二〇〇メートルも登るのだからかなりの急坂になるはずであり、逆S字カーブでわざと遠回りして勾配を緩和している。外輪山を登り詰め、いよいよ坂ノ上トンネルに入る。まっすぐの長いトンネルを抜けた先の波野は標高七五四メートルで、駅としては九州一の高さにある。
 波野を過ぎると列車は転げ落ちるように山を下る。七〇一号室からはあまり見えないが、以前の記憶では迫り来る緑の山に追いかけられるような感じである。この感じ、嫌いではない。ジョイント音も軽やかに右へ左へジグザグ曲がる。気分爽快な山越えだ。

 豊後竹田に十五分停車する。10時44分着、10時59分発。停車中、上り列車とすれ違いする。
「Tさん、元気かなぁ?」みつこさんと私が豊後竹田といえば、とあるバーで知り合ったTさんの話になる。Tさんは豊後竹田(竹田市)のご出身だ。冗談だろうが、豊後竹田はド田舎だという。なんども言うので街の名前をおぼえてしまった。
 若き日のTさんのエピソードが傑作である。
 T少年はマイケル・ジャクソンのレコードが欲しかった。ある日、豊後竹田に一軒しかないレコード屋に駆け込んだ。「マイケル・ジャクソンある?」
 おばちゃんは店の中をがさごそやり、在庫の山から一枚取りだして、「マイケル・ジャクソンないから、ジョージ・マイケルでいい?」
 みつこさんも私も大爆笑で、追い打ちをかけるような「だって、マイケル・ジャクソンとジョージ・マイケルって違う人なんだよ!」の声に悶絶した。人も違えば、歌も違う。当たり前のことだけどTさんが話すと笑い転げる話になる。「ジョージ・マイケル買えっていわれても困るんだよねえ」。
 そんなのどかな豊後竹田の街を一度ゆっくり散歩したいと思っているのだが、なかなか実現できていない。今回もわずか十五分で過ぎてしまう。そのレコード屋がいまもあるのかさえ定かではない。
 吉村さんがクッキーを持ってきてくれた。「ティータイム、来なかったでしょ」と言われ、ドキリとする。阿蘇を発車する十時ごろから一号車ではティータイムが開かれていた。それは知っていたが、部屋でゆっくり過ごす時間もたいせつと思い、あえてパスしたのだった。ティータイムのおこぼれとおぼしきクッキーをみつこさんと分けて食べる。ほどよくおなかが満たされるとちょうど睡魔がやってきた。
 ベッドに横になり小一時間ほど眠っただろうか。昨夜は深い眠りができず、朝は五時から起きていたから寝不足だった。少しでも眠れてすっきりした。三重町(みえまち)に二十三分停車したのもまったく知らない。みつこさんも隣で横になっていた。大野川がつくる谷は少しずつ広がって平野になってゆく。
 時計をみれば十二時。昼ごはんは十二時十五分からである。みつこさんがそろそろ行こうというので七〇一号室を出る。



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