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走れ!バカップル列車 第90号 ななつ星in九州 旅立ち |
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二 四日後、知らない番号から電話がかかってきた。ANAトラベラーズからだった。「デラックススイート・Aタイプ」がキャンセルになったのでいかがでしょうか、という声が聞こえてくる。あまりに急なことだったが、気づいたら申し込みますと答えていた。いったん諦めていたななつ星が再び現実に近づいた。 それから出発日までの二か月間、ANAトラベラーズと電話、郵便のやりとりをしながら旅の準備が進んでいった。 郵便でのやりとりは「お伺い書」という質問事項に回答するのが最重要課題だった。氏名、性別、年齢、生年月日にはじまり、健康状態、喫煙の有無、車内の生演奏へのリクエスト曲、観光コースの選択、枕の種類、写真の撮影許可に関しての質問が並ぶ。 これだけでも細かいことだが、別紙には食材の好き嫌い、アレルギーについての質問がA4用紙オモテ・ウラに渡ってびっしりとあった。小麦、蕎麦、卵、乳製品(牛乳・バター・生クリーム・アイスクリーム・乳製品すべて)、ナッツ・豆類(落花生・カシューナッツ・クルミ・ゴマ・大豆・その他)、果物(グレープフルーツ・オレンジ・りんご・キウイフルーツ・桃・バナナ・その他)、きのこ類(しいたけ・松茸・その他)、山芋、牛肉・豚肉・鳥(鶏肉・鳥類の肉全般・フォアグラ)、うなぎ類(うなぎ・あなご・ハモ)、甲殻類・イカ(エビ・カニ・イカ)、貝類(牡蠣・アワビ・その他)、魚(カツオ・サバ・鮭・その他)、魚卵(キャビア・からすみ・明太子・ウニ・いくら)、にんにく、アルコール、その他の食材でアレルギーや苦手なものがあれば書く欄があり、その他にも希望があれば、歯が弱い方のために一口カット希望などにも応じてくれるらしい。 海外旅行とまちがえそうな旅行代金はクレジットカードで支払うことになった。申込みから二週間以内に申込金を支払い、出発日三週間前の四月二二日に残金を支払う段取りだった。 不思議なのはANA系列の旅行会社なのに福岡現地集合・現地解散というところだ。東京〜福岡間はJALに乗っても、新幹線に乗ってもいいらしい。もっとも私たちはふだんANAに乗るので、今回も往きは五月十三日日中のANA255便、帰りは五月十五日最終のANA274便に乗ることにした。 ゴールデンウイークの前日に宅急便が届いた。「701」という部屋番号が書かれた荷物タグが入っていた。本当に「デラックススイート・Aタイプ」の七○一号室に乗車できるのだと、このタグを見てはじめて実感した。「やっぱりご用意できませんでした」と、いつ言われるんじゃないかとびくびくしていたのだ。 二人で茶色い包みに入っているものを次々と取り出してみる。ななつ星のイラストが描かれたクリアフォルダーには旅程表や列車の時刻表、記念切符、パンフレットなどが入っていた。着替えなどを車内に送れるように小包の送り状も入っている。否が応でも気持ちが高ぶってくる。 すべてが順調だった。いままでの人生でここまで順調なことがあっただろうか。躓いたり挫折したりが私にとってのふつうである。きっと乗車前日あたりに交通事故にあって死んでしまうか、大怪我をして乗れなくなってしまうのだろう。そうでなければ乗車直前に夢が覚めて家の布団に連れ戻されるのだ。順調すぎて、疑心暗鬼になる。 「そろそろ荷造りしないといけないんじゃない?」 みつこさんにいわれ、ハタと気がついた。五月八日、乗車前最後の日曜日である。車内に着替えを届けるなら、五月九日までに発送してくださいとプリントに書いてあった。たとえ夢の中でも、今夜のうちに用意しなければならない。 ふだんの旅行で服装に悩むとしたら暑いか寒いかぐらいのものである。バカップル列車では一泊二日程度なら下着だけ替えて、あとは着たきりスズメのことも多い。ななつ星に限ってなぜそんなに悩むかというと、ドレスコードがあるからだ。 送られてきた「『ななつ星 in 九州』のご案内」というパンフレットにはイラスト付きで次のような説明がある。 《■「ななつ星」シーン別の服装イメージ 一日目「金星」集合時:スマートカジュアル ●男性:ジャケット、襟付シャツ、スラックス、ブレザーなど ※和装の場合:長着、角帯または兵児帯 ●女性:ワンピース、襟付シャツ、ジャケット、スーツなど ※和装の場合:小紋、紬 車内での夕食時:セミフォーマル ●男性:タキシート、ベーシックなスーツ、ブレザーやジャケット、ネクタイなど ※和装の場合:長着、羽織、足袋 ●女性:ワンピース、スーツ、パンツスーツ、ジャケット、ブラウス、スカートなど ※和装の場合:訪問着、付け下げ、色無地》 説明文だけでもなかなか細かい上に、イラストがバブル期のファッション誌を思わせる様相で、なんだか戸惑ってしまう。日常でもこのような服は着ない(もともと持っていない)うえに旅行に着てでかけたことがない。どうしようと悩んだが、そもそもななつ星とかクルーズトレインとかに乗ることが初めてなのだから、いままでしてなかったことをするのは当然なのだと思い直した。豪華列車に乗れる特権は存分に楽しんだ方がよい。 旅のメインイベントになるであろう一日目のディナーになにを着るかがポイントだ。そこを基準に前後の服装、着回しを組み立てることにした。みつこさんが「うーん」と唸りながら悩んでいる。楽しい悩みだ。旅はもうはじまっているのだと思うとなんだかうれしい。 アイデアがまとまったのか、みつこさんは買ったばかりのコム デ ギャルソンのワンピースを取りだして、テキパキと荷物をまとめた。私もふだん着ているものでなるべくフォーマルに近いものを選んで送ることにした。ジャケットはよれよれでもネクタイをすればどうにか格好はつくだろう。せっかくだからディナーは二人とも革靴を履くことにした。靴は荷物にすると意外にかさばるので、一緒に送れるのはありがたい。 そうこうするうちに五月十三日になった。前泊の日、そして十三日の金曜日である。きょうこそ交通事故にあうのではないか。用心しながら家を出て、そろりそろりと羽田空港に向かった。思いのほか無事羽田に着いて、飛行機も無事に飛んでくれた。 |
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