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走れ!バカップル列車
第88号 特急踊り子と天城越え(後編)



   二

《「旦那さま、旦那さま」と叫びながら婆さんが追っかけて来た。》
『伊豆の踊子』の冒頭、「峠の北口の茶屋」で「私」が踊子と再会した後のシーンである。踊子のいる旅芸人一行がひと足先に出立し、それを追いかけるように「私」も峠道を急ぐ。
《そして私のカバンを抱きかかえて渡そうとせずに、幾ら断わってもその辺まで送ると言って承知しなかった。一町ばかりちょこちょこついて来て、同じことを繰り返していた。……(中略)……踊子に早く追いつきたいものだから、婆さんのよろよろした足取りが迷惑でもあった。とうとう峠のトンネルまで来てしまった。
「どうも有難う。お爺さんが一人だから帰って上げて下さい」と私が言うと、婆さんはやっとのことでカバンを渡した。
 暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。》
 小説のこんなシーンを読み直したあとだったから、てっきりトンネルの手前にはお茶屋さんがあるものだと思っていたが、道中も含めてそんな店はまったくなかった。浄蓮の滝の観光客はどこに行ったのかと不思議になるほど人がいない。駐車場、公衆トイレと少しばかり休憩できる四阿(あずまや)があるばかり。ときどき通りかかる自動車やバイクの音が騒がしく聞こえるくらいあたりはひっそりしている。
 お茶屋さんとか売店があれば、鮎の塩焼きでも買い食いしてお昼ごはんの代わりにしようと考えていたのだが、完全に予定が狂った。あたり一帯どう考えても食糧が調達できそうなところはなさそうだ。一匹四百五十円の鮎が目の裏をかすめる。ここでするつもりだったことを浄蓮の滝でしておけばよかったのかもしれない。そんなことを思っても後の祭りだ。諦めて四阿でぼんやり休む。
 天城山隧道は一九○四(明治三七)年に四年の歳月をかけて完成した全長四四五・五メートルのトンネルである。日本に現存されている石造のトンネルでは最長のもので、その風格ある坑門もトンネル内の壁も石積みで出来上がっている。二○○一(平成十三)年に道路トンネルとしては初めて国の重要文化財(建造物)に指定された。
 空腹のままだが十五分くらい休んだので、天城山隧道を通り抜けることにする。入口を覗くと、「小さく明るんで」いる「南伊豆への出口」が見える。おそるおそる暗いトンネルに踏み入ってゆく。数十メートルおきにランプがあるだけで中は真っ暗だ。空気はひんやりしている。前にカップルがひと組歩いているので、彼らを追いかけるようにして歩く。しばらくすると後にも何人かトンネルを抜ける人たちが来て子どものはしゃぐ声がトンネル内に響き渡る。ときどき自動車が私たちを追い抜いていく。幅は四メートルあるかないかの狭さなので、自動車が通るときは壁にぴったり寄り添わないといけない。十分くらいかけてトンネルを抜けた。抜けたところでも五、六分休憩。
 ここから下り坂なのでのんきに歩く。紅葉には早かったと後悔したが、あたりは杉ばかりだから紅葉の時期に来てもさほど景色は変わらないのか。二十五分ほど歩くと石川さゆりの『天城越え』に謳われた「寒天橋」に着く。河津川の源流を渡る橋だ。
 寒天橋あたりから再び舗装道路になる。「踊子歩道」は歩き通すと十三キロほどあるそうだが、ぜんぶ歩くと時間が足りないので、途中で近道をして国道へ出る。出たところが「二階滝」(にかいだる)のバス停である。

 天城山隧道の北口からおよそ一時間。前のバスが十五分ほど前に出て、次のバスまで四十分というとても中途半端な頃合いに着いてしまった。幸いバス停の裏が駐車場になっていてベンチも公衆トイレもあるのでしばらく休憩することにする。公衆トイレの男子用の入口には高等学校の学生のイラストが、女子用の入口には踊子のイラストが描かれている。
 バス停の名になっている「二階滝」はどこにあるのかとここに来て思い至ったが、すでに通り過ぎたあとだった。寒天橋から川を少し下ったところにあったらしい。
 下流の河津七滝(かわづななだる)もそうだが、河津あたりでは「滝」を「たる」と読む。「水が垂れる」ことを「垂水」(たるみ)と呼んでいたので、七滝も「ななたき」ではなく「ななだる」なのだそうだ。
 三十分もあれば、お昼ごはんでもなんでも食べられそうなものだが、こちらにも食糧が調達できそうなところはなく、昨日コンビニで買っておいたアーモンドチョコをつまんでごまかした。帰りに乗る「サフィール踊り子」にはカフェテリアが連結されているので、いざとなったらそこで食べれば良い。
 次のバスまでまだ二十分もあるのに、みつこさんがバス停で立っていようと言う。満足な歩道もなく、自動車がびゅんびゅん通り過ぎる国道脇に長時間立っているのは危ないというと、しゅんとして座り直すが、しばらくするとまた立とうとする。知らないうちにバスが通り過ぎてしまうのがイヤなのだそうだ。二十分の早発なんてありえないからと言ってもみつこさんはきかない。しかたないのでiPhoneであいみょんを流す。周りには誰もいないからスピーカーから大音量。音楽がかかっているうちは「麦わらの〜」などと歌っているからいいが、『マリーゴールド』が終わるとまたバス停に行こうと言う。二回繰り返してもまだ十分ある。もう一曲シーナ&ザ・ロケッツの『YOU MAY DREAM』を流す。またしばらく歌っていてくれる。
『YOU MAY DREAM』が終わったところで時計をみると十三時五十五分。バスの時刻まであと五、六分なので、そのくらいならバス停で待っていても良いだろうと私も立ち上がった。14時01分発のバスは二分遅れてやって来た。
《湯ヶ野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。峠を越えてからは、山や空の色までが南国らしく感じられた。》
 百二年前の一高生と旅芸人一行が数日かけて歩いた道をみつこさんと私はぼんやりバスに揺られて通り過ぎる。ぼんやりしているだけならまだしも景色もろくに見ないで居眠りばかりだ。私は河津七滝ループ橋といって国道がらせん状に二周する橋を通過するところだけは起きていたが、みつこさんはそこも寝ていた。湯ヶ野の温泉街がどこだったか知るはずもない。
 14時42分、定刻にバスは河津駅に到着。みつこさんと私の天城越えは、初々しい恋心を抱くこともなく、山が燃えることもなく、淡々と五時間ほどで終了した。



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