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走れ!バカップル列車
第88号 特急踊り子と天城越え(後編)



   一

 伊豆と聞いて『伊豆の踊子』のほかにもうひとつ思い出す作品は、石川さゆりの『天城越え』である。カラオケで歌うひとも多いから歌詞もなんとなくおぼえている。「九十九折り」「浄蓮の滝」「わさび沢」「寒天橋」「天城隧道」といった伊豆の名所が登場する。みつこさんも昨日から気がつくと「山が〜燃える〜」などと歌っている。
 二○二○年十一月一日、名残惜しそうにみつめる白いゴールデンレトリバーと別れたみつこさんと私はいよいよ天城越えの旅に出る。
 修善寺駅前の東海バスきっぷ売場で「天城路フリーパス」を二枚買う。宿でもらったクーポンのうち半分をタクシーに使い、残り半分をフリーパスに使った。二枚で四千八百円のところ二千四百円である。宿泊代も格段にお得になっていた。GOTOキャンペーンおそるべしである。
 河津行きのバスが来た。待合室を出てバスに乗り込む。天城越えの旅などと得意になっているがだいたいはバスに揺られるだけの楽な旅である。ぱらぱらと客を乗せて9時55分に発車。
 きょうは修善寺から河津を経て下田まで向かう。『伊豆の踊子』や『天城越え』に登場する名所をたどってみたい。最初に浄蓮の滝に寄る。国道136号線を南へ向かえばいいのだが、バスは駅から西へ一キロ以上寄り道して修善寺温泉に発着するのでだいぶ遠回りになる。このあたりの温泉街、満室でなければ泊まっていただろうと思うとなんだか恨めしい。いままで乗っていた以上の観光客がぞろぞろと乗ってくる。三、四分ほど遅れて修善寺温泉を発車。
 途中から国道は414号線になって湯ヶ島温泉を通り過ぎる。川端康成は十月三十日に修善寺に一泊し、十月三十一日、十一月一日に湯ヶ島に二泊しているので、このあたりで百二年前の一高生を追い抜いたことになる。
 四分遅れの10時37分、浄蓮の滝に着いた。バスを降りる。土産物屋や食堂などが何軒も並んでいる。浄蓮の滝とはこんなにも盛大に栄えた観光地なのかと驚く。休みの日の午前中というのに観光客がたくさんいて賑やかだ。
 次のバスは11時13分。四十分ほどの間隔だが、先のバスは四分遅れたので三十五分ほどしかない。滝は国道から二十メートルほど下った谷底にある。土産物屋には脇目も振らず、つづら折りの階段を降りて滝をめざす。
 滝まで降りてきた。そんなに大きくないが、白い流れが一筋ひたすら滝壺に落ちてゆく。左右の岩は四角柱が折り重なるような形をしていて面白い。ザーッという音を聞きながら滝を見ていると気持ちも清らかな方へ流れてゆくようだ。
 みつこさんと並んで記念写真を撮る。滝と一緒に撮れる場所は限られているから、前に撮っている人たちを待ち、後から来る人たちに待ってもらい、互いに譲り合いながらうまく撮ることができた。

 写真が撮れたら撤収である。滝をみて心が澄み渡ったはずだが、一瞬にして俗世に舞い戻る。川の脇にあるわさび沢やお土産物屋の店先には目もくれず、でも鮎の塩焼きは一匹四百五十円か、などと思いながら階段を登る。予想はしていたが、段差の大きな石段を二十メートル一気に登るのはやっぱりきつい。息が切れる。みつこさんも私も無言になる。空気は涼しいのに汗だくである。バスに乗る前、修善寺の待合室でジャンパーを脱いでおいてよかった。
 こういうときに限って、次のバスは時刻通りに来るだろうからと一生懸命階段を登ったのに、実際はしっかり二、三分遅れてやって来た。結局、当初のダイヤどおりほぼ四十分間隔だったのだ。急いで損した気分になる。フリーパスを運転手に見せて乗り込む。
 バスは山を分け入るように国道を登る。次にめざすのは天城山隧道(旧天城トンネル)である。トンネルの前後はバス通りから離れた細い道を数キロに渡って歩くので、そこに時間を多めにとっておきたい。そのためには浄蓮の滝での時間は最小限にしなければならず、11時13分のバスに乗ることが至上命題だった。四百五十円の鮎が後になって恨めしく思えてくるとはこのときは夢にも思わなかった。
 距離にしておよそ五キロ、時間にして九分ほど走った「水生地下(すいしょうちした)」というバス停で下車。この近くに旧道の入口があるはずだ。五十メートルほど坂を下ると天城大橋の手前に左に入る道があった。「踊子歩道」と書かれた立看板や、「旧道 伊豆市湯ヶ島」と補助標識のついた逆三角形の青い国道の標識がある。バス通りも国道414号線だが、こちらの旧道も国道のままらしい。「ブルンップップップップ、ブルンップップップップ」とけたたましいエンジン音を唸らせたバイクの大群が旧道を下ってきて、私たちの脇を走り抜けていった。
 旧道に静寂が訪れた。わずかな時間だがバスの座席に着いて休んだのがよかったらしい。浄蓮の滝ではふらふらだった私たちだが、また歩ける状態まで元気が出てきた。いよいよみつこさんと私の天城越えである。杉木立の山道を追い抜いたり追い抜かれたりしながらトコトコ歩く。登坂だが浄蓮の滝からの登りに比べればなんてことはない。地図を見れば旧道は等高線に沿うように走っている。入口付近では舗装されていた旧道だが途中から砂利道になった。川端康成の文学碑があった。石に厳めしい表情の作家の顔と《道がつづら折りになつて いよいよ天城峠に近づいたと思ふころ 雨脚が杉の密林を白く染めながら すさまじい早さで麓から私を追つて来た》という『伊豆の踊子』の書き出しが刻まれていた。
 一キロほど登ったところで橋を渡る。いろいろな立て看板があって小さな広場のようになっている。このあたりがバス停の名前にもなっていた水生地らしい。ここから沢に沿って細い登山道があるようだ。私たちは登山道には目もくれず、旧道に沿ってくるりと右に曲がる。つづら折りをさらに進み、旧道の入口からおよそ四十分、正午を少々過ぎたころに天城山隧道の北口にたどり着いた。



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