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走れ!バカップル列車
第87号 特急踊り子と天城越え(前編)



   四

 修善寺駅のホームに降りたって驚いたのは、いま着いた「踊り子」の向かいにもおなじく185系「踊り子」が停車していることだった。郊外の私鉄の終着駅でJR車輌が二編成並ぶなんてことは考えもしなかった。時刻表を調べればすぐにわかることだから、うかつと言えばうかつである。向かいの「踊り子」は土休日に運転する「踊り子12号」だった。
 私たちは目的地の駅に着くと二人並んで記念写真を撮ることにしているが、これを利用しない手はないとホームの先端に並んで二つの「踊り子」と一緒に写真を撮った。そうこうするうちに向かいの「踊り子12号」は発車時刻になり東京に向かって走り去った。
 駅のホームがまた良い雰囲気を醸し出していた。広告の看板、木製のベンチ、タイルで作られた洗面台。いまやホームに洗面台がある駅なんてものすごく減っているのではないだろうか。そんなこんなで寄り道をしていたらホーム先端から改札口まで百メートルほど歩くのに二十分以上かかってしまった。
 今夜の宿は修善寺駅から伊東方面へ四キロほど離れた民宿だ。本当なら修善寺温泉の宿に泊まりたかったが、GOTOキャンペーンのおかげで旅行客が増えたのかひと月前に探してもどこも満室でとれなかった。修善寺温泉とは正反対の聞いたこともないような場所に泊まる羽目になってなんだか左遷された気分になる。
 タクシーに乗り、宿には十五時ごろ着いた。
 ベージュ色をしたわりと小ぎれいな宿だ。玄関脇にゴールデンレトリバーが一匹こちらを見てぶんぶんしっぽを振っている。みつこさんが「おおっ、元気かぁ?」と声をかけてやると、うれしかったのか、ぶんぶんぶんとますます激しくしっぽを振る。振り幅が広がってしっぽの先が横の軽トラにぶつかってバンバンバンと音がする。「そんなに振ると痛かろう」。「また遊ぼうな」と言って宿に入る。
 電気も点いてない薄暗い食堂の奥からおばあさんが出てきて、ギョッとする。あんた達の部屋は新館だと案内してくれる。母屋から渡り廊下を抜けると、隣に同じくベージュ色をした二階建て四世帯が入るアパートがあって、この一階だという。一階部分は斜面の下にあるので階段を降りる。鍵を開けて中に入ると本当にアパートの一室だった。予約するときたしか「アパートタイプ」とかなんとかと書いてあったが、タイプどころかアパートそのもの。1DK、バス・トイレ別、四十平米といったところか。掃き出し窓の向こうには川が流れていて、静かなせせらぎが聞こえる。

 みつこさんがお茶とお水を買うの忘れたというので、散歩がてら買いに出かけることにする。一階から脇の坂道を登ると母屋を通らずに外の道に出る。タクシーで来た道を思い出しながら駅の方向へ戻った。
 大見川の橋を渡り県道に出たところにホームセンターがあったが、建材や工具、園芸用品などが置いてあるだけ。飲み物といえば自動販売機があるだけで種類も少ないのでもう少し駅に戻ったところにあるコンビニまでさらに歩くことにした。結局宿から一キロ半ほど歩くことになった。
 コンビニで無事にお茶とお水を買って来た道を戻る。縄文中期の「上白岩遺跡」の脇を抜け、大見川の橋を渡った先にレンガ造りのアーチ橋がある。立て看板には「梅木発電所の水路橋(俗称眼鏡橋)」。発電のための水路を通す橋で、一九一一(明治四四)年に開設されたとある。最新技術を導入した画期的な建物・建造物で、当時は茶店が出るほど見物客で賑わったらしい。一九三○(昭和五)年の伊豆地震で建物は崩壊したが眼鏡橋は無事に残り、いまも使命を果たしているという。付近の地形図を見ると大見川の上流から水を引っ張ってくる水路があり、さきほどの橋のたもと付近に発電所のマークがある。
 私ひとり脇にある細い道を登ってみた。みつこさんが心配そうにこちらを見上げている。眼鏡橋の上に着くと、驚くべきことにとてもきれいな水があふれんばかりにアーチ橋の上を流れていた。「すごいよ、みちゃん。水がごうごう流れてる!」これならいまも発電を続けているといわれても納得である。なかなか面白いものを見た。今日の宿に泊まらなければ、一生来ることはなかったかもしれない。都落ち感のある宿に泊まるのもまた一興である。
 脇の坂道を下って直接アパートの一室に戻る。チェックインしたときからだが、二階の住人の騒音が酷い。「ドシンドシン、バタバタバタ……ドドドドドン、ドシンドシン」小さな子どもがいる家族連れだろうか、つねに走り回っていて、つねにプロレスごっこをしている。ついにみつこさんは笑い出してしまった。
 みつこさんと私で代わりばんこで母屋の風呂に入ったところでちょうど晩ごはんの時間になった。母屋の一階が食堂になっている。すでに何組かの宿泊者が食事をはじめている。
 料理はよかった。豆腐のおかか巻き、海幸山幸ピザ皮巻き、焼き魚(鯛)、茶碗蒸し、お新香が最初テーブルに用意されていて、後からお刺身盛合せ、固形燃料で焼く牛焼肉、野菜天ぷらが次々と出てきた。最後にごはんとなめこ汁が出てきて、味も量も大満足だった。
 翌朝はのんびり朝食を食べて九時ごろチェックアウトをした。タクシーを呼んでもらい玄関を出ると、ゴールデンレトリバーがこちらを見てぶんぶんしっぽを振っている。
「おおっ、元気だったかぁ?」みつこさんが声をかけると、ぶんぶんぶんと激しくしっぽを振る。昨日の散歩のとき脇道から直接部屋に出入りしてしまい、この子とゆっくり遊べなかったことを後悔した。しっぽの先が軽トラにぶつかってバンバンバンと音がする。「おいおい、痛くないのかい?」みつこさんの心配などおかまいなしの様子だ。タクシーが来るまで二十分かかると言われたが、こんなときに限ってすぐに来た。「またな」というと、(もう帰っちゃうの?)といわんばかりに上目づかいに私たちを見る。ますます離れがたくなる。
 タクシーの後ろの窓からみえる白い姿が小さくなってゆく。「また」の日は果たして本当に来るのだろうか。



第88号 特急踊り子と天城越え(後編) へつづく
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