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走れ!バカップル列車 第87号 特急踊り子と天城越え(前編) |
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二 《道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。》 川端康成『伊豆の踊子』の冒頭だが、迫力があって美しい文章だと改めて思う。「雨脚」が杉林を「白く染め」、私を「追って来た」というのは典型的な擬人法だが、この表現によって、その情景がまるで映像を見ているかのように読む者に迫ってくる。凡人にはなかなか書けない。 読み進めるうちにバカップル列車とのつながりで、ふたつの偶然に気がついた。 三島から修善寺を経て下田に向かう今回の行程が『伊豆の踊子』の舞台とおおよそ一致するということだ。じつはバカップル列車の旅程は『伊豆の踊子』を読み直す前に決めていた。特急「踊り子」と「サフィール踊り子」に乗るといっても、ただ下田まで往復するだけでは芸がない。特急「踊り子」は熱海で編成を分割して伊豆急下田行きと修善寺行きに分かれるから、往きの「踊り子」は修善寺行きに乗り、帰りは下田から「サフィール踊り子」に乗ろうと考えた。修善寺から下田へ出るには天城峠を越えなければならない。まさしく偶然に『伊豆の踊子』の舞台をたどることになった。 もうひとつの偶然は、季節が同じ秋ということだ。月日もかなり近そうだ。猪瀬直樹『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』には川端康成が在籍していた第一高等学校の寮を抜け出し伊豆へ向かう旅に出たのは一九一八(大正七)年十月三十日とある。私たちの日程は十月三十一日と十一月一日。出発日はわずか一日違いだった。おそらく旅の途中で百二年前の川端康成を追い抜くことになるだろう。 川端康成の旅立ちから百二年と一日後の二○二○(令和二)年十月三十一日土曜日、みつこさんと私はいつもの調子であたふたと東京駅にたどり着いた。 予定の列車は東京12時00分発車の「踊り子13号」。余裕をみて一時間以上前に着くはずだったが、私の荷造りが遅れてしまい十一時十分過ぎに着くはめになった。そのまま乗るなら時間は余るくらいだが、朝ごはんをまだ食べてなく、駅構内のどこかでブランチを食べるつもりだったので、みつこさんも私もあたふたしてしまう。案の定、来てみると適当な店がみつからない。丸の内側から八重洲側へ向かう通路の途中にスパゲティナポリタンの店が出来ていて、もはやあれこれ選ぶ暇もないので入ることにした。こういうときに限って料理が出てくるまで時間がかかるだろうと思っていたら、しっかり十分待たされた。二人でナポリタンをものすごい勢いで食べて店を出た。 「踊り子」が発車する九番ホームに着いたのは、発車七分前。もはや編成を先頭から最後尾まで眺める余裕もなく、最後尾だけ眺めて十五号車のドアから乗り込んだ。指定券にある座席は十三号車十二番A・B席。車輌を二つ移って席に着くころには定刻になり列車は発車していた。同じく十二時ちょうどに東京駅を発車する「のぞみ227号」が左から近づいてきて颯爽と走り去ってゆく。特急とはいえ半分急行に近い「踊り子」が修善寺に着くのは14時06分。そのころ隣の「のぞみ227号」は滋賀県の琵琶湖畔を走っている。 慌ただしい中で、みつこさんと私のバカップル列車の旅がはじまった。荷物を網棚に乗せて、上着を脱いで座席に落ち着くころには品川に着いていた。車内を眺めてみると進行方向左側の窓側はほぼ埋まっている。私の席もA席である。 「ほかは空いてるのに、なんでこっちだけ混んでるの?」みつこさんが訊く。 「みんな海側に座りたいからじゃないかな?」と答える。ほかの人はいざ知らず、少なくとも私がA席を選んだ理由はそれだ。185系の引退は半年後だが、私たち同様名残を惜しんで乗車する鉄道おたくが増えているのだろう。 窓が開くので四、五センチほど開けてみる。列車で窓を開けたりすると近年は変人でも見るかのような視線を送られたが、新型コロナウイルスの世の中では換気という大義名分があるからありがたい。鉄道おたくは本当は窓を開けたいのだ。秋の風が心地よい。線路が南へ向かってまっすぐ続く。快調なモーター音を轟かせ、185系「踊り子」はひた走る。雲ひとつない青い空。やわらかな陽の光が目にまぶしい。多摩川の鉄橋を渡った。河川敷を歩く人たちがこちらを見ている。 川崎で後ろの席に若いカップルが乗ってきた。いちゃつくでもなく、大騒ぎするでもない。むしろとても静かなカップルである。しかし気になることがある。みつこさんに小声で話しかけてみた。 「うしろの二人、崎陽軒のシウマイ弁当たべてない?」 「そうかな?」みつこさんは訝しげだ。 しかし崎陽軒好きの私は薫りでわかるのである。いまや新宿駅でも崎陽軒は買える。川崎駅で売っていても不思議ではないだろう。 「たしかめてよ」「できないよ」 しばらく膠着状態が続いたが、横浜に着くころ観念したようにみつこさんが言った。「崎陽軒だね」 「でしょ!」「だって崎陽軒のシウマイのにおいがするもん」 そうだろう、そうだろう。かくして一度も振り返ることないままに崎陽軒問題は終結を迎える。 保土ケ谷、戸塚、左右の丘にびっしりと住宅が建ち並ぶ。通い慣れた風景が後ろへと流れてゆく。みつこさんはすやすやと寝ている。景色の良いところはまだ先なのでいまのうちに寝ておいた方がいい。 天気も良く、時間帯もいいので、沿線のそこかしこにカメラを構えた撮り鉄たちがいる。相模川の鉄橋にも二、三人いた。 大磯、二宮といかにも湘南らしい風景の中を通過し、国府津で御殿場線と分かれ、酒匂川を渡ると小田原である。左に伊豆箱根鉄道大雄山線の青い電車が見える。小田原で乗ってくる客もちらほらいた。 東海道本線の小田原から熱海までの二○・七キロは、沿線でも一、二を争うほどの、もっと言うと全国の車窓風景の中でもベストテンに入れておきたいほど風光明媚な区間である。「近場で旅気分を味わえるところはありませんか?」と関東の人に訊かれれば、まず答えるのは鶴見線だが、もう少し足を伸ばせる人には東海道線の小田原〜熱海間を勧めたい。東京駅百キロ圏内で全国有数の車窓が楽しめるのだ。 |
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