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走れ!バカップル列車 第87号 特急踊り子と天城越え(前編) |
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一 いったい誰が現在の二○二○年を想像していただろう。わずか一年前にはまったく考えてもいなかった世の中がいま現実として私たちの前にある。 新型コロナウイルスといったって、また新種のインフルエンザとか、SARSとか、MEASとか、そんな類いのものだろう。一時的に騒がれても、そのうちみんな忘れてしまうだろう。私自身、そんな風に高をくくっていた。 ところが、ダイヤモンドプリンセス号が横浜港から動けなくなり、志村けんさん、岡江久美子さんといった著名人が立て続けに亡くなって、ウイルスそのものの怖さ以上に世の中がパニックになってしまった。東京オリンピックが中止になったのには心底驚いた。 四月、五月ごろは外出するのさえ憚られるような「空気」だった。日本独特の同調圧力というものだ。マスクをつけなければ外にも出られない。マスク越しの呼吸以上に重苦しい「空気」がのしかかる。苦しくて道ばたにうずくまりそうになったのは夏の暑さのせいだけではなかっただろう。 秋にさしかかるまでいったいなにをしていたのか、あまり思い出せない。気がつけば扇風機を出す前に涼しくなっていた。二○二○年の大部分が空白になったような感覚だ。 バカップル列車も運休せざるを得なかった。行く先々で迷惑がられたり、疎まれたりするようでは旅だって楽しくなくなってしまう。 じつは私ひとりでの撮影旅行は八月からこっそりはじめていた。上旬は出雲へ、下旬は九州へ。自分で追い求めているテーマの写真を撮るためだ。現地ではなるべく人と接する機会を減らすよう、迷惑をかけないよう努めた。実際は嫌な気分にさせられることはなく、むしろ歓迎されている雰囲気さえ感じられた。 GOTOキャンペーンが追い風になった。アベノマスクがどれだけ効果があったのかはわからないが、GOTOキャンペーンはたしかに世の中の「空気」を少しだけ変えてくれた。旅に出るのが悪とみなされなくなった。十月からは東京都民も加えられた。感染防止に努める必要はあるが、堂々と旅行できるようになったのはありがたい。ようやくみつこさんを連れて遠出できるようになった。 満を持して話しかけてみる。 「みちゃん」 「なに」いつものように返事がくる。 「伊豆に出かけようと思うんだけど」 「いいよ。いつ行く?」 行き先が伊豆なのは、もともと次のバカップル列車の候補の中に特急「踊り子」があったのと、自分のテーマで写真を撮りたい列車があったからだ。その目当ての列車のダイヤと日没時刻を計算すると出かけるのは十月下旬がよかった。 「十月終わりの土日でいいかな?」 「いいよ」みつこさんの了解もとれた。 特急「踊り子」は、国鉄時代の一九八一(昭和五六)年十月一日ダイヤ改正で登場した特急列車だ。それまで東京と伊豆方面を結ぶ優等列車には、東京〜伊豆急下田間に特急「あまぎ」、東京〜伊豆急下田間・修善寺間に急行「伊豆」が走っていたが、新型特急電車185系の登場を機に統合され「踊り子」になった。 185系電車はいくつかの点で、国鉄車輌としては斬新なものだった。いちばんの特徴は車体の塗装だ。全体が白に近いクリーム色で、車体中央部分に斜めに緑色のストライプが三本入っている。それまで鉄道車両といえば、色にはバリエーションがあっても、帯を入れたり、色を塗り分けたりするときの形状は基本的に横向きだった。それが突然斜めになったのだから、当時小学生の私も度肝を抜かれた。 もうひとつの特徴は、急行列車や普通列車にも利用できる設計だったところだ。「踊り子」の運転が開始されるまでの移行期は急行「伊豆」にも使われていたし、通勤時間帯の普通列車として走ったりもしていた。その証拠にドアの幅が一メートルとほかの特急列車に比べると幅広で、客室の窓も開けられる。 国鉄は185系をよほど頑丈に作ったのだと思う。いまだに現役で特急列車として走っている。国鉄特急車輌が特急として運行しているのはいまや「踊り子」と岡山〜出雲市間をむすぶ「やくも」の二系統だけだ。さすがに登場から四十年近く経っているので老朽化は進んでいて、すでに今年三月のダイヤ改正で一部の「踊り子」がE257系リニューアル車(中央線「あずさ」「かいじ」からの転用車)へ置き換えられている。こんどの二○二一年三月のダイヤ改正では残る「踊り子」もすべてE257系となり、185系は「踊り子」や「湘南ライナー」などすべての定期列車から引退することになっている。 特急「スーパービュー踊り子」はバブル終焉が近い一九九○(平成二)年新宿・池袋・東京〜伊豆急下田間で運転を開始した(「第54号 特急スーパービュー踊り子」参照)。「スーパービュー踊り子」専用の251系車輌は発足間もないJR東日本が「乗ったときからリゾート」をコンセプトに開発した車輌だ。スピードも速くなり、車内設備もより特急にふさわしいものになった。 ところが251系の老朽化は意外に早く、今年三月のダイヤ改正で車輌は全廃、同時に「スーパービュー踊り子」という列車名も消滅してしまった。まさか185系よりも早く幕引きを迎えるとは思いもよらなかった。 代わりに登場したのが新型電車E261系で走る特急「サフィール踊り子」だ。「サフィール(Saphir)」はサファイアを意味するフランス語で、「青く美しい伊豆の海と空」をイメージしているとのこと。全客室がグリーン車で、カフェテリアと称する食堂車が連結されている。全客室がグリーン車というのはこれまでにもお座敷列車など臨時観光列車にはあったが、毎日運行される定期列車では聞いたことがない。 食堂専用車両の復活はもうひとつの驚きだ。国鉄末期から食堂車は衰退の一途をたどっていて、時刻表に掲載される定期的列車用としてJRが新製した食堂車は、鹿児島本線特急「つばめ」のビュッフェ車(サハシ787)、上野〜札幌間寝台特急「カシオペア」用の食堂車(マシE26)の二形式しかない。E261系のカフェテリア車(サシE261)はこれらに次いで三形式目だ。令和の世に「サシ」(食堂車の形式名)が新製されるとは夢にも思わなかった。 この機会に新しい「サフィール踊り子」にもぜひ乗って、写真も撮っておきたい。そうして往きは185系「踊り子」に乗り、帰りに「サフィール踊り子」に乗るというプランを立てたのである。 |
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