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走れ!バカップル列車
第86号 比叡山



   三

 山の中の小径を歩いて、延暦寺の入口に着いた。巡拝料七○○円を払って中に入る。
 着いたところは東塔(とうどう)というところらしい。延暦寺のホームページによれば、「『延暦寺』とは、比叡山の山内にある一七○○ヘクタールの境内地に点在する約一○○ほどの堂宇の総称です。延暦寺という一棟の建造物があるわけではありません。山内を地域別に、東を『東塔(とうどう)』、西を『西塔(さいとう)』、北を『横川(よかわ)』の三つに区分しています。これを三塔と言い、それぞれに本堂があります」とある。なにかに似ていると思ったら、お伊勢さんだった。内宮(皇大神宮)、外宮(豊受大神宮)など一二五の宮社ぜんぶを含めて神宮だ。お寺も神社も由緒正しくて大きくなるとこういう風になるのかもしれない。
 入口から進むといくつかの道が集まって少し広くなっているところに出た。目の前の坂を下ると根本中堂(こんぽんちゅうどう)がある。東塔の本堂にあたる建物だ。もともと最澄が一乗止観院を建てたのがこの場所といわれ、延暦寺のホームページにも総本堂とある。『信長公記』の焼討ちのくだりで真っ先に出てくるのも根本中堂だ。現在の建物は江戸初期一六四二(寛永一九)年に再建されたもので、国宝にもなっている。
「あれ? なんか工事してる」
「『ブラタモリ』のときも、こうだったっけ?」
 なんと、根本中堂は「平成の大改修」の真っ只中だった。巨大な仮囲いに覆われて体育館みたいになっている。二○一六(平成二八)年から十年間の予定で行われているという。
 建物全体を見ることができず、ちょっとがっかりだが、せっかく来たのだからと、中に入ってみることにした。きっとタモさんもこの状態の根本中堂を訪れたはずだ。「根本中堂」と札が掲げられた門をくぐって中に入る。
 仮設の階段を数段上がったところに下足室がある。靴をロッカーに預けるのだが、一足ずつなので適当にあいたところをみつける。みつこさんはちょっと離れたところに置いたようだ。まごまごしているうちに参拝客が次から次へと押し寄せて、みつこさんの姿は見えなくなった。どこにいるのだろうときょろきょろしながら歩いていると、突然左足に激痛が走った。
「イタッ!!」
 なぜかそこに置いてある大きな衝立の脚に、左足の指を強打した。タンスの角に足をぶつけたというやつだ。あまりの痛さにリュックや三脚を抱えたままその場に崩れ落ちる。たかが指先の痛さのために、全身の力が抜け、意識が朦朧としてくる。みつこさんは先に行ってしまった。私を置き去りにして、いったいどこへ急いでいるのだろう。このまま生き別れになってしまうのだろうか。
「アンタ、大丈夫か?」「どうしたん?」遠のく意識の向こうからおばはんたちがやさしく声をかけてくれる。「ちょっと、こっち来て休みぃ」
 どれだけの時間が経ったのだろう。
 かすかにみつこさんの声が聞こえてくる。「ひろさん、ひろさん、大丈夫?」
 私は衝立から少し離れた壁際で横になっていた。おばはんたちの中からみつこさんが出てきて、私の顔をのぞき込む。
「ひろさん、いないからさぁ、探したよ」
 いや、ずっとここにいたはずなんだが。まあ、生き別れにならなくてよかった。
 しかしみつこさんは先を急いでいる。ここにいちゃだめだ。早く行こう。そう言われても思うように動けない。ゆっくりと体を起こし、立ち上がる。少しずつ痛みは引いてきた。骨折まではしていないだろう。びっこを引きながら少しずつ歩いてみた。
 比叡山の延暦寺の根本中堂。はるばるここへ来てなぜ足を強打しなければならなかったのだろう。高野山より前に比叡山に来たのでバチが当たったのか。最澄も、焼討ちも、ブラタモリも、もはやすべてぶっ飛んだ。比叡山といえば根本中堂。総本堂根本中堂。足をぶつけた根本中堂。

 瀕死の状態で根本中堂を参拝した。スリッパもなく、靴下だけで暗闇の廊下を歩くのがすごく恐い。ご本尊といわれる仏像は火の向こうに見えたような見えないようなぼんやりした印象だ。一周して戻ってきたところに仮設の階段があるので、よろよろと登ってみる。建築の勉強になるとかで「修学ステージ」と呼ばれている。銅板を剥がした葺き替え作業中の屋根が見える。大改修中ならではのところを見られて少しだけ気が晴れた。
 おなかがすいた。考えてみれば入口で巡拝料を払ったときに十二時を優に過ぎていた。左足を強打して倒れ込み、空腹どころの騒ぎではなかったから、少しは余裕が出てきたということだろう。
 延暦寺会館というところで精進料理が食べられるらしいので行ってみる。お昼のラストオーダー直前で最後の一組に滑り込むことができた。悪いこともあるが良いこともある。だいぶ待たされたが豪華精進料理が出てきた。満腹になった。
 きょうは比叡山を滋賀県側から京都府側へ越えるだけだが、西塔、横川まで訪れる時間はないので、東塔境内をうろうろして帰ることにした。
 ロープウェイ乗り場までは歩くと遠いらしいのでバスに乗る。延暦寺バスセンターで比叡山頂行きのバスを待つが、道が渋滞しているようでずいぶん遅れている。
 隣の乗り場には、京都駅行きのバスが停まっている。これに乗ればすんなり市内に出られて、宿にも早く着くだろうと思う。しかしこの先、叡山ロープウェイ、叡山ケーブルカーを乗り継いで、叡山電車で出町柳に出るところまでがバカップル列車だ。いま弱音を吐くわけにはいかない。なによりきょうは先を急ぎたくない。焦ったところで、ろくなことはない。
 ようやくバスが来た。発車するまで十分待ち、乗車時間も五分かかった。ロープウェイ乗り場までまた五○○メートルほど歩かなければならない。黄色がかった日の光を浴びながら山頂付近の小径を歩く。ところどころに案内看板がある。
「←京都市内方面 ロープウェイのりば ♪スキップで約5分」
(えっ、スキップ?)と思って歩き続けると、
「全速力で約3分」
「ほふく前進めざせ10分」
「うさぎ跳びで約5分」
など面白いバリエーションが次々と姿を現した。



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