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走れ!バカップル列車 第84号 京都鉄道博物館 |
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二 お友達に林加楊さんという書家の方がいて、石川九楊さんの書塾生の一人として年に一回東京と京都で開催されるグループ展に参加されている。東京の展示は用事が重なって見に行けなかったのだが、京都の展示が私たちの旅行とちょうど同じ時期に開催されている。これは観ないわけには行かないということで、私たちは京都駅を降りるや一直線に展覧会場に向かった。 会場は京都市美術館だそうだが、平安神宮が近くにあることぐらいしか私たちにはわからない。タクシーの運転手さんに「岡崎のところにある、あれやろ」と言われ、京都に岡崎という地名があることも知らないから慌ててiPhoneを取り出す始末。もちろん運転手さんは心得ていて、いま本館は改築中で入れないからと私たちが言う前に別館に一番近いところまで連れてきてくれた。 私たちが林加楊さんの書が好きなのは、あまりに斬新で既成概念をいつも覆してくれるからだ。素人からすればどこをどう見たって書にはみえない。木とか滝とか山河とかの風景画、あるいはスターウォーズの冒頭の字幕のような幾何学的な模様の連なりのようなものばかり。でも、じつは小説や詩の一節を書いたものだというから摩訶不思議なのである。近づいてよく見てみると、たしかに文字だ。はねとかはらいとかそういう部分を極端に長く書いたりして文字を図形にして、その図形の重なりが遠くから見ると水墨画のようにみえるのである。 グループ展だから、ほかの塾生たちの書もたくさん飾られているが、こんな絵みたいな書を描くのは林さんぐらいである。いつもこんなものばかり書いていて、お師匠さんに怒られないのか心配していたのだが、上野で開かれていた石川九楊さんの書展に行ったら、お師匠さんの方がもっとすごくて水墨画や幾何学模様のような書がたくさんあって驚いた。だから大丈夫だったのか、と納得したものである。 もちろん今回の林さんの作品も常人の域を果てしなく突き抜けていて最高だった。見事な作品を目にして満足して美術館を出た。平安神宮前の岡崎公園をぷらぷら散歩してから、次の目的地、京都鉄道博物館に向かう。 京都鉄道博物館は、かつての梅小路蒸気機関車館の敷地を拡大させて二○一六(平成二八)年四月二九日にリニューアルオープンした鉄道専門の博物館である。大阪の弁天町にあった交通科学博物館と梅小路蒸気機関車館が閉館になったときはとても残念に思ったが、それらの収蔵品を合わせ、質量ともいままで以上に充実させて戻ってくると聞いていたから楽しみにしていた。 それなのにオープンして二年経つまで行かなかったのは、混雑が収まるまでしばらく様子をみようと思っていたからだ。私たちは人混みとか、行列とか、異様に混雑しているところに行くのが苦手である。だから少しでも空いている平日を選んだし、街中が紅葉に浮かれているころとなれば、そのぶん京都鉄博の見学者も減るだろうと読んで、ようやく二人、安心して行けることになったのである。 GTYと京都鉄博の繋がりは深く、その関係は山?「教授」が収蔵品の記録写真撮影を担当したことにはじまるという。このとき教授を指名したのがJR西日本広報部 京都鉄道博物館開業準備室企画課長(開館当時)の藤永晴俊さんだった。 藤永さんに初めて私がお目にかかったのは二○一七年秋のGTY合宿のときだった。厳密にいうと藤永さんは教授の教え子ではないのだが、年に一度の合宿と呼ばれる撮影旅行には例年ゲストとして参加してくださる。チャーターしたバスの車内で教授と一緒に朝からお酒を飲んでいて、夜は夜で日本酒の瓶を開けるたびに「開栓の儀」という儀式をするおもろいおっちゃんだなぁと思っていたのだが、考えてみれば巨大企業JR西日本の幹部なので、ふつうだったら私のようなただの鉄道オタクなど相手にしてもらえないほどの方なのである。 その藤永さんが、GTY京都鉄博ツアーの当日は朝から晩まで、つきっきりで私たちを案内してくれた。教授の教え子だからということで特別扱いしてくださったのだ。それだけでも頭が上がらないのだが、藤永さんがすごいのはそれだけではない。なにを隠そう藤永さんは京都鉄博プロジェクトの総責任者で、基本コンセプトやグランドデザインの決定にはじまり、展示建物の設計や車両の配置、ロゴマークなどの原案を自らの手で形にした人物だったのだ。「車輌配置を図面や模型でシミュレーションしていたが、最後に使ったNゲージは新幹線車両と在来線車輌の縮尺が微妙に違っていて、いざ本物の車輌を配置したら想定したイメージと違ってしまった」と苦笑していたが、こうした現実味あふれる話は悩み抜いた本人でないと言えるものではない。 収蔵品ひとつひとつへの愛着やディテールへの配慮も人一倍深く、さらに驚いたのは藤永さんは準備段階ですでに京都鉄博の五十年後、百年後を見据えていたことだ。プロジェクトのかなり早い段階から将来を託せる学芸員をメンバーに加えたというお話もうかがっていたし、GTY一行が入館したとき、真っ先に将来の京都鉄博を担う人物だと若手のスタッフを紹介してくださったこともその現れだろう。 そうするとEF66形電気機関車とDD51形ディーゼル機関車をかさ上げ展示しているのは、たんに床下を眺められるというだけの理由ではないように思えてくる。わざわざ動かしにくいところに配置することで、将来人びとの記憶がどれだけ薄れようと、気持ちが変わろうと、国鉄を代表する二両の機関車はいつまでもここに展示してほしいという藤永さんの鉄道への深い愛が込められているのではないだろうか。 |
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