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走れ!バカップル列車 第84号 京都鉄道博物館 |
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一 一年の中でいちばん混雑するころの京都に出かけるようになって今年(二○一八年)で三度目になる。 「そうだ 京都、行こう。」のCM戦略にまんまとはまった訳ではない。そもそものきっかけはみつこさんが京都市動物園に行きたいと言い出したからだ。二○一六年のことだった。はじめは夏に行くつもりだったが予定がいろいろ重なりずらしているうちに晩秋、というより初冬になってしまった。 せっかく二人で出かけるなら、といつものようにバカップル列車を仕立てるのだが、このときは嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車に乗った(「走れ!バカップル列車 第79号 嵯峨野トロッコ列車」)。朝ごはんの前にいったん宿を出て、桂川沿いを散歩するのも楽しかった。心残りなのは時季が少しだけずれていたことだった。地元のひと曰く「先週がいちばんきれいだった」。 もっときれいな紅葉を見てみたいと思い、翌二○一七年も出かけることにした。このときは叡山電車に乗った(「走れ!バカップル列車 第81号 叡山電車」)。きれいな紅葉も見られたが、全体としては台風の影響で葉が落ちていたり色合いがいまひとつだったりした。 三度目の正直ででかけたのが今回だ。どんな紅葉が見られるかはまだわからない。こんどはどこでバカップル列車を走らせようか。嵯峨野のトロッコも叡山電車もすでに乗ってしまった。そこではたと思い出したのが紅葉とはなんの関係もない京都鉄道博物館だ。走っている車輌ではないから厳密には列車ではないが、下津井電鉄の廃線跡(「走れ!バカップル列車 第82号・第83号 下津井電鉄の廃線跡をめぐる(前・後編)」)の例もあるから大丈夫だろう。 じつは、京都鉄博にはもう一度行きたいと思っていた。館内で展示されている車輌のとある写真を撮るためだった。 初めて私が京都鉄博を訪れたのは今年二月のことである。鉄道写真家 山崎友也さんとその教え子たちからなるGTYと呼ばれる写真仲間が京都鉄博ツアーを企画したので、私も教え子たちの末席に入れていただいたのだ。 話は脱線するが、山崎さんはGTYのみんなから「教授」と呼ばれている。なんだか坂本龍一みたいだが、本人は坂本龍一のファンではないようで、たんに「先生」と呼ばれるのがイヤだったかららしい。さらにいうと、山崎の「崎」は正しくは異字体(右上が「大」ではなく「立」)で、読みは「やまざき」ではなく「やまさき」が正しい。これを間違えると教授からカミナリが落ちるのでGTYのみんなはそのあたりよく心得ている。 京都鉄博に最初に訪れたとき私がとくに感銘を受けたのは、EF66形電気機関車とDD51形ディーゼル機関車の展示だった。EF66は国鉄の代表的電気機関車であり、DD51は同じく国鉄の代表的ディーゼル機関車。だからこそ選ばれたのだと思うが、この二両だけが館内で特殊な展示のされ方をしている。互いに数十メートルほど離れたところにいるのだが、ともに一・四メートルかさ上げされていて、車輌の前後に七十センチほど下る階段があって、それぞれの機関車の下に潜ることができる。 ふつうに考えれば線路はかさ上げせず、地下に二メートルほど下がった通路をつくれば良さそうなものだが、床面のわずか三・五メートルの地下に平安京の左京と右京を分ける南北のメインストリート「朱雀大路」の遺構が見つかり、本館建設にあたっては二・五メートルまでしか掘削ができなかったらしい。 それでもこうした展示方法を選んだ京都鉄博の意気込みはただならぬものがある。ふだん鉄道車両を正面、横、上から眺めることはできるが、下に潜って眺めるということはなかなかできない。下から眺めれば動力伝達のしくみをつぶさに確かめられるし、だからこそ博物館でそのような展示をする意味があるのだが、意外にもこういう展示は珍しい。 私は、見学時間中、EF66とDD51の下ばかり潜って眺めていた。どうにかして機関車の床下の様子を写真にしようと思った。いろいろ試したが、高さ二メートルほどのスペースである。車輌との距離が近すぎて全長十八メートルの床下の全容を納得いくほどに撮ることができなかった。 時が過ぎ、細かいことは忘れてしまったがなにか別の写真を撮っているときに、ふと、あの機関車の床下をうまく写真に撮れるかもしれない方法を思いついた。本当にうまくできるかどうかわからないが、やってみなければわからない。ぜひもう一度行って試してみたい。しかしなにぶん京都である。そう簡単には行けない。そうこうするうちに季節が過ぎ、もともと春ごろに決まっていた秋の京都旅行に合わせて出かけることになってしまった。 三度目ともなると、前年までの失敗から学習して、旅程も改善されるものである。宿は春のうちに昨年と同じところを予約しておいた。ただし、予約は取れても現地で混雑するのを少しでも避けたいから、一日休みをとって出発日を平日にした。新幹線は昨年は指定席が取れなくて朝一番の「のぞみ」の自由席に乗ったが、今回は一か月前に指定席を買っておいた。それでもみつこさんが混雑を嫌うので朝は早い。 二○一八年十一月二十二日、みつこさんと私は東京駅7時40分発「のぞみ101号」に乗車した。前年までの失敗から学習したはずなのに、東京駅に着く前に朝ごはんを仕入れるのを忘れてしまった。いつも利用する東京駅の駅弁売場は大きな荷物を抱えた旅行客でごった返していて、のんきに並んでいたら乗り遅れそうなので、新幹線の改札を抜けたところで駅弁を買う羽目になった。新幹線の駅構内の売店は空いていたのでそれは良かったが、チキン弁当がJR東海仕様のものでいつものと味が違った。ものすごくまずくはなかったが、たいしてうまくもない。まだいつもの東日本仕様の方がましという感じだった。みつこさんは無難にヒレカツサンドを食べていた。 東京駅を出るとき半分ほどしか埋まってなかった座席は品川、新横浜と停まるうちに満席になった。弁当を食べ終われば眠くなる。富士山を横目にだんだん瞼が重くなり、気がついたときには関ヶ原を過ぎていた。9時55分、京都着。 |
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