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走れ!バカップル列車 《特別編》 第82号 下津井電鉄の廃線跡をめぐる(前編) |
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四 ジーンズストリートを目指し、引続き武佐衛門通りを進む。銀行が並んでいる一画を過ぎてバスターミナルの前に来ると、犬を連れたおばあさんが左側の白い建物に入って行く。 (なんだろう?) 見上げてみるとここが下津井電鉄の児島駅であった。まだ建物が残っていることに驚いたし、ずいぶん立派な建物であることにも驚いた。勝手に想像していた下津井電鉄のイメージとはかけ離れた、ドーム型の屋根を持つ斬新なデザインである。駅舎内は金・土・日・祝日の日中だけ開放されていて中を抜けて廃線跡の遊歩道に出られるようになっている。 なかなかジーンズストリートにたどり着けないが、下津井電鉄は午後の目的地でもあるので寄り道することにした。行き当たりばったりだがしかたない。 駅舎は広かった。ドーム型の屋根をそのまま活かした吹き抜けになっている。歩道橋みたいに中二階になっているところがあるが、基本的に平屋である。 「こじま」の駅名標の前でお母さんと小さい子供がお弁当を食べている。犬を連れたおばあさんはすたすたとそのまま通り抜けて廃線跡の遊歩道へ行ってしまった。 プラットホームは上からみると「コ」の字型の行き止まり式になっている。茶屋町方面へは線路が続かない仕組みだ。調べたところ、この駅舎は瀬戸大橋開通直前の一九八八(昭和六三)年三月に完成したものだった。茶屋町〜児島間はすでに一九七二(昭和四七)年に廃止されているから行き止まり式でもいいことになる。児島〜下津井間六・三キロという短い路線に比べずいぶん大規模につくられたのは瀬戸大橋開通を機に観光客が増えることを期待してのものだろう。 もともと下津井電鉄は一九一四(大正三)年に茶屋町〜下津井間二一・〇キロで開業した軽便鉄道である。宇高連絡船に対抗し、下津井〜丸亀の航路へ乗客を呼び込むためにつくられた。軽便鉄道というのは、二本の線路の幅がJR在来線(一〇六七ミリ)より狭い七六二ミリの鉄道のことである。戦後間もない一九四九(昭和二四)年に電車化され、社名も下津井電鉄に変更された。 戦後高度成長期は順調だったものの、モータリゼーションの煽りを受けて乗客が減ったのは全国のローカル線と同じ運命であろう。先述のとおり茶屋町〜児島間が一九七二(昭和四七)年に廃止され、瀬戸大橋に起死回生を賭けたものの残る児島〜下津井間も一九九〇(平成二)年に廃止となって、赤と白の小さな電車は児島半島から姿を消した。 児島の駅舎は完成後三十年の時を経ているが、鉄道駅として使われたのは三年にも満たなかった。埃(ほこり)の積もった駅舎内にいると祭りのあとに居合わせたようで、なんだか寂しい心持ちになる。 旅も話もだいぶ脱線してしまった。列車に脱線は禁物である。 私が中二階から下に降り、遊歩道への入口を見に行ったみつこさんが戻ってきたところで、今度こそジーンズストリートへ向かう。 武佐衛門通りをバスターミナル側に渡って文化センターや市民交流センターの間の道を進むとジーンズショップが二軒、三軒と現れた。まさしくここが児島ジーンズストリートのはじまりであった。ここから北西方面へ伸びる通りとその突き当りから南北に伸びる通りが中心のようだ。 北西方面へ伸びる通りを歩くことにした。みつこさんが興味深げに店先を物色しはじめる。ある店の前でトルソが水玉ワンピースを着ていた。紺色の濃淡でできたかわいい水玉である。 「これ、良くない?」 言うなりみつこさんはずんずん店に入って行った。 店員さんをつかまえて話を聞くと、ワンピースだと思っていたのはじつは白衣をイメージした男子もののロングシャツだった。フリーサイズ一点だけで、試着してみるとみつこさんには大きく、諦めざるを得ない。 それでもみつこさんはこの店が気に入ったようでなかなか外へ出ようとしない。紺色ばかりの商品のなかに、ぽつんと白いシャツがあった。 「これもデニムなんですか?」 マー君(田中将大)似のその店員さんに尋ねると、 「デニムってふつうは紺色の糸と白い糸を合わせて織るんですけど、これは白い糸だけを使った生地なんです」 ボタン穴を赤い糸で縁どっているところもなかなかおしゃれである。みつこさんはその白いシャツをだいぶ気に入っていたが、歩きはじめたばかりで決めるのは尚早と思ったのか、「また来ます」と言って出てきてしまった。 北西方面へ伸びる通りは寺社の前で突き当たった。こんどは右に曲がって南北に伸びる通りを北へ向かう。 こちらの通りも左右にジーンズショップが軒を連ねている。 見上げればところどころにジーンズが鯉のぼりのように吊るしてあって、風にたなびいている。角にちょっとした広場があって、その隅の公衆トイレにはジーンズのイラストが描いてある。近くに停まっていたタクシーも、ジュースの自動販売機もデニム柄だった。まさしく街全体がジーンズに彩られている。 「きょうって、土曜日だよね」 歩きながらみつこさんがいう。そうだよと答えると、 「その割には、人少ないね」 言われてみればそうかもしれない。通りには私たちと同い年ぐらいのご夫婦や若者のグループが行き交い、店でもいろんな人たちとすれ違った。テレビにも取り上げられるくらいだから人気の街なのは違いないが、想像していたほどの賑わいではないようだ。 旧野崎家の立派な板塀を左に見て、ユニークな人形がお出迎えする桃太郎ジーンズの店を過ぎたあたりでジーンズストリートの出口になる。 いったんジーンズストリートを抜けて、川沿いの道から戻ることにした。 大正橋あたりで向こう側の護岸を見ていたら、三角柱状の不自然な出っ張りがあった。これはひょっとして下津井電鉄が走っていた橋脚の跡ではないか? 心躍らせながら大正橋に近づいてみる。南北に流れる小田川に橋が東西に二本架かっている。橋の東で道が二本に分かれているためだ。その不自然な出っ張りは北側の橋のさらに北側にある。川の向こうをみると、出っ張りの角度に合わせるように細い道路が伸びている。あの細い道路は下津井電鉄の一九七二(昭和四七)年に廃止された区間の跡だろう。そしてあの出っ張りを橋脚にして、道路とは違う角度で川を渡っていたのだ。 いまはない橋を想像しながら、川のこちら側を見てみると、こちらの橋脚は北側の橋のたもとに取り込まれていて、その証拠に橋が護岸の出っ張りに合わせて不自然に広がっている。そして見えない橋の延長線上にはいまある橋とは違う角度で道路が続いている。 午後は遊歩道として整備された廃線跡を歩く予定で、それはそれで楽しみだが、それとは別に「整備されていない」、ただの痕跡を見つけることができたのは予想外の収穫だった。一〇〇%の断定はできないが、九〇%ぐらいの確率で廃線跡といえるだろう。 |
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