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走れ!バカップル列車 《特別編》 第82号 下津井電鉄の廃線跡をめぐる(前編) |
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一 みつこさんとはかれこれ十五年以上連れ添っているが、子供もなく齢五十というのに自分たちが子供のような未熟者で、だから半分冗談でバカップルと自称しているが、のこり半分は本音である。 なにも巷間いわれているような、人目も憚らず破廉恥なことをすると言っているのではない。未熟者たちが肩肘張らずに自然体で生きて行こうという程度の意味である。 私は物心ついたころから鉄道が好きで、列車にさえ乗っていれば機嫌が良い。それは結婚してからも変わらず、機会さえあればみつこさんを道連れにして列車の旅に出ている。 バカップルが列車に乗ればバカップル列車である。通勤電車であれローカル線であれ、特急であれ鈍行であれ、私たちが乗ればすべてバカップル列車である。そうして十年以上、全国にバカップル列車を走らせてきた。いまはなきブルートレインにもたくさん乗った。 ある冬の朝、みつこさんが私のところに来て、岡山に行こうという。なんでも岡山を題材にした文学を募集する文学賞があって、「ひろさん紀行文書くの好きだから、応募してみたら?」というのである。 みつこさんのいうことは聞いておいた方が良い。最近みつけた私の経験則だ。しかしただ岡山といっても漠然とし過ぎている。岡山のどこへ行き、なにを書こう。思いを巡らせてまず思いついたのは一九九〇(平成二)年に廃止された下津井電鉄の廃線跡だった。しかし茶屋町〜児島〜下津井間を走った下津井電鉄の跡地は遊歩道として整備されていて、草むらの奥の遺構を探し当てるような廃線跡ならではの楽しみが期待できそうにない。下津井電鉄についての記述も巷にあふれているから物珍しさにも欠けてしまう。 困ったのでみつこさんにも訊いてみた。 「みっちゃんはサ、岡山といえば最初になにを思いつく?」 「吉備団子だね」即答である。 「なんで吉備団子なの」 「だって桃太郎に吉備団子出てくるじゃん」 たしかに歌にもなっている。思わず二人で口ずさむ。 桃太郎さん桃太郎さん お腰につけた黍団子 一つわたしに下さいな…… 「この先なんだっけ?」 「忘れちゃったね」 「で、桃太郎に出てきてどうしたの」 「吉備団子たべたいなって思ったんだよ」 「食べた?」 「食べたよォ。本当においしいなぁって思ったよ」 「いつごろ?」 「幼稚園」 半世紀前の話をされてもちょっと困ってしまうのだが、せっかく「吉備」という名前が出たので、JR吉備線(桃太郎線)に乗って古代吉備の国の面影を辿るというのはどうだろう。吉備の国は絶大な勢力を誇ったといわれ、ヤマト王朝にも負けない立派な古墳も残されている。 当時は吉備線の走る一帯まで海が来ていて、山陽道がこのあたりを通っているのもそのためだ。吉備津神社という名にも海との関わりが表れている。 とりあえず今回は吉備の国と吉備団子を訪ねる旅ということにして、四月後半の金土日で出かけるおおよその旅程を組んで倉敷駅近くの宿を予約した。 桜も咲き、出かける日が近づいてくると、みつこさんがことあるごとに「構想は決まった?」と訊いてくる。「まあ、だいたいは」などと答えるのだが、その実ほとんど決まっていない。何度も訊かれると気ばかり焦ってしまうが、かくなるうえは旅も文章も行き当たりばったりでいいという開き直りの気分にもなってくる。 さらに旅の一週間前になって、みつこさんが突如としてこんなことを言い出した。 「倉敷ってジーンズストリートがあるんだよ」 「へえ」 ぼんやりテレビを観ているときに倉敷デニムが出てきたようで、デニム生地の制服を採用した学校が話題になっていたという。 みつこさんの言うことは聞いておいた方が良い。倉敷は今回の旅の宿泊地でもある。試しに「ジーンズストリート」でネット検索したら、「児島」と出てきた。なるほど児島は繊維産業が盛んである。昭和のころは「ボンカレー」「オロナミンC」「金鳥」に並んで「菅公学生服」のホーロー看板が全国各地の納屋に貼り付けてあった。 しかし、よりによって児島である。ここに来て振出しに戻ってしまった。 なぜかと言えば、下津井電鉄の電車が最後に走ったのが児島〜下津井間なのである。もはやなにかの啓示であろう。こうなったら児島に出かけ、ジーンズストリートを散歩して、下津井電鉄の廃線跡を辿るしかない。 |
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