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走れ!バカップル列車
第81号 叡山電車



   二

 叡山電車は京都の出町柳〜八瀬比叡山口間五・六キロ(叡山本線)、宝ケ池〜鞍馬間八・八キロ(鞍馬線)の二つの路線からなる小さな鉄道である。会社名は「叡山電鉄」だが地元では「叡山電車」と呼ばれ親しまれている。
 沿線は京都中心部から郊外・山間部入口に跨がっていて、通勤通学輸送のほか観光路線といった側面も持っている。その歴史は古く、叡山本線は一九二五(大正十四)年の開業、鞍馬線は一九二八(昭和四)年に全通している。
 路線が短い割に経営主体の入れ替わりはなかなか複雑だ。
 叡山本線は最初京都電燈という電力会社の鉄道部門により運行されていた。ところが京都電燈は太平洋戦争の最中に解散となり、鉄軌道事業は新たに設立された京福電気鉄道に営業譲渡された。
 鞍馬線は別の会社である鞍馬電気鉄道が開業した路線である。別会社だが、電車ははじめから出町柳まで乗り入れていた。こちらも戦時中に京福電気鉄道に営業譲渡されている。
 バブル期の一九八六(昭和六一)年四月、京福電気鉄道は営業成績の悪化したこの二つの路線を分社化した。このとき京福電気鉄道の子会社として設立されたのが叡山電鉄である。
 一九九一(平成三)年には京阪電気鉄道の子会社となり、後に親会社が京阪ホールディングスとなって現在に至っている。
 乗降客数のピークは一九六○年代半ばで、その後一九七○年代に乗客数が減ったのは、出町柳まで接続する京都市電が廃止されたことが主な原因だといわれている。ほかに接続する路線を失い陸の孤島となってしまったのだ。
 一九八九(平成元)年に京阪の鴨東(おうとう)線が三条から出町柳まで延長され、乗客数はいったん回復したが、八年後の一九九七(平成九)年に京都市営地下鉄烏丸線が叡山電車の沿線に近い国際会館駅まで延長されて乗客を奪ってしまった。パノラミック電車「きらら」を導入するなど巻き返し策を図りながら、どうにか現在まで持ちこたえているといった状況だ。
 陸の孤島が解消されたとはいえ、ターミナルの出町柳は新幹線で京都駅に降り立った旅行客にとってはなかなか行きにくい場所である。今回私たちが選んだルートも、新幹線→(京都)→奈良線→(東福寺)→京阪電車→(出町柳)→叡山電車と三か所で乗り換えしなければならない。
 このルートは検索ソフトでたまたま出てきたものだが、現在の叡山電鉄が京阪電車の子会社であると思えば、京阪に乗ってからというのもまんざら悪くない。
 ところで、最後まで不安だった東福寺での乗り換えは、予想に反してたいへんスムーズであった。奈良線の駅と京阪の駅は塀一枚を隔てるだけの隣り合わせで、改札口は出入りするものの、跨線橋の上り下りだけで済んだ。
 京阪は何本か早い電車に乗ることができて、しかも空席が目立つほどに空いていた。じつに快適に予定より早い時間に出町柳に到着した。
 京阪の地下駅から続く乗り換え通路に、下りエスカレーターがそのまま水平の動く歩道となって続いているいるところがあって、みつこさんが「これすごいー」と感激している。いまは上らなきゃいけないから、帰りに乗ろうねと約束して地上にある叡山電車の駅に向かった。

 当然というか、予想通りというか、叡山電車の出町柳駅は紅葉見物の観光客でごった返していた。インフォメーション窓口で叡電一日乗車券を買う。
 改札口を抜けると櫛形のホームが続いている。三本の線路の両脇にホームがあって、アップダウンなしに改札口からすべてのホームと行き来できる。
 すぐに出る電車はすし詰めの満員だが、九時発の鞍馬行きは発車まであと十五分あるのでホームは空いていて、二両連結のうちの後方の車両だが列の一番先頭に並ぶことができた。
 やがてオレンジ色とクリーム色のツートンカラーの「きらら」がやってきた。列の先頭だったから、窓側に向いた展望座席に二人並んで座ることができた。きょうは「のぞみ1号」で先手先手の行動をとって正解だったねとうなずき合う。車内はみるみる満員になっていった。
 定刻9時00分になり、「きらら」が発車した。元田中、茶山と市街地の駅をこまめに停車しながら北に進む。一乗寺、修学院では降りる客も多い。満員なのは観光客がいるからだと思い込んでいたが、地元の乗客もかなりいるようだ。多客期だからか、女性の車掌が乗り込んでいて、切符の回収のためホームを走り回っている。
 宝ケ池で叡山本線と分岐する。叡山本線は東へ逸れて八瀬比叡山口へ向かうが、こちらは引き続き北へ。次の八幡前の七百メートルほど西には市営地下鉄烏丸線の終点国際会館駅がある。徒歩圏に京都中心街や京都駅まで直通する路線ができてしまえば、乗客が奪われるのは仕方ないことかもしれない。
 鞍馬線の線路は左へ約九○度大きくカーブして、岩倉、木野あたりでは西へ進む。ここまで来ると心なしか風景ものどかになり、住宅の隙間に畑やビニールハウスがぽつぽつ現れる。比較的新しい建売住宅が線路脇に並んでいたりする。
 一九八九(平成元)年に新設された京都精華大前を過ぎると線路は再び北に向いて二軒茶屋に着く。出町柳から続いた複線区間はここまでで、二軒茶屋から先は単線になる。住宅もまだ続いているが、平地はほぼこの付近で尽きて勾配も急になる。車窓に見える山はどれもてっぺんまできれいに紅葉して車内から感嘆の声がもれてきた。
 機敏にホームを走り回っていた女性車掌は市原で発車の合図をすると、そのままホームに残った。乗務はここまでのようだ。市原を発車して小学校の校庭脇を通り抜けると、いよいよ山あいに入る。この先二百五十メートルほどの区間が「もみじのトンネル」だ。
 その名のとおり、左右にはちょうどきれいに色づいたもみじが所狭しと並んでいて、天井まで続く大きなガラス窓が橙色に染まった。乗客は皆左右の窓に顔を近づけて紅葉に見入っている。みつこさんも「わぁ」と声をあげながら頭上をきょろきょろ見回している。列車は徒歩か自転車かくらいまでに速度を落とすが、それでもあっという間に「トンネル」を抜けて鉄橋を渡ると山の中腹にある二ノ瀬である。
 ここでも数人の客を降ろして「きらら」は鞍馬川の谷を登ってゆく。踏切脇の神社、たわわに実をつけた柿の木、赤や黄色に色づいた木々。貴船口を過ぎてさらに坂を登ると終点鞍馬である。定刻より一分遅れ、9時32分の到着であった。



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