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走れ!バカップル列車
第77号 サンライズ出雲(伯備・山陰線)と一畑電車大社線



   三

 二○一六年七月九日11時16分、京王線の電車は定刻通り電鉄出雲市を発車した。隣にはJR山陰本線が併走し、ともに地上への勾配を下ってゆく。スピードを出す暇もなく次の駅出雲科学館パークタウン前に停車。坂の途中だが一畑電車側はこの駅のために水平区間を設けているので、山陰線とは微妙に勾配の角度がずれている。地上に降り、左にカーブし山陰線と分かれる。大津町、武志と停まりながら北に進み、やがて左から大社線が近づいてくる。出雲市から四・九キロ、所要八分ほどで終点川跡である。
 近くを斐伊川が流れている。古くから氾濫を繰り返した川のようで、それが八岐大蛇伝説になったともいわれている。流路も幾度となく変わったのだろう。川跡という地名にそれが如実に表れている。
 出雲大社前行きの電車に乗り換える。出雲市から大社前まで十三・二キロとそれほど長くない道のりに乗り換えが生じるのは少々億劫だが、接続は良い。川跡ではホーム二面、線路三線を活用して、出雲大社前、出雲市、松江しんじ湖温泉の三方向へ向かう電車を同時に停車させ、互いに乗り換えしやすいようダイヤが設定されているからだ。
 出雲市からの電車は11時24分、二番線に着いた。一分後の25分には松江行きの電車が一番線から発車する。二番・三番線から一番線に行くには構内踏切を渡る。出雲大社前行きの電車は三番線から27分に発車。ホームの向かい側に移るだけだから乗り換えは楽だ。逆に接続時間が短いと感じるくらいだが、乗換え客が目的の電車に乗れるまでちゃんと待っててくれる。
 出雲大社前行きの電車も車両は京王5000系だ。こちらは京王線登場時のオリジナルカラーを忠実に再現している。先ほどにも増して感動する。
 川跡駅のポイントを渡り、大社線を西へ進む。左右には田んぼが広がり、青々と育つ稲が風にそよいでいる。田んぼの周りには家並みが続く。石州瓦の家もぽつぽつと見られる。高浜を発車すると左側に枝の取れた白い日傘のような出雲ドームが見えてくる。右側の平野の向こう側には島根半島の山々が連なっている。
「揺れるなあ」
 居眠りを決め込んでいたみつこさんが顔をしかめながらこちらを向く。
「あぁ、ローカル線だからなぁ」
「ローカル線だと揺れるの?」
「JRと違って、速度が遅い前提だから、線路の整備がちょっと違うんだよね」
「へえ、線路の敷き方で揺れ方も変わるの?」
「変わるよ。道路だってそうじゃん」
「しかし、これはきついな。前後にグラグラ揺さぶられるよ」
「酔ってるみちゃんをこんな電車に乗せてすまんなぁ」
 出雲市からバスの方が良かっただろうかと悩む。出雲大社参拝後も一畑電車に乗って松江まで行く予定なのだが。
 大社前に着く直前で小さな川を渡る。その鉄橋から出雲大社の白い大きな鳥居が見えた。11時38分、終点出雲大社前駅に着く。川跡から八・三キロ、十一分ほどの旅である。
 これから出雲大社に行くのだが、待合室のベンチに座る。電車に揺られ続けたみつこさんに、揺れないところでしばらく休んでもらいたい。

 みつこさんが待合室をうろうろしながら、出雲大社周辺の町歩きマップみたいなものを取ってきた。それを見せてもらったら、さきほど見かけた白い鳥居の先にJR大社線の旧大社駅があると書いてある。
「出雲大社に行く前に、ここの旧大社駅ってのに行ってみない?」
 みつこさんに訊いてみる。「うん、いいよ」
 かまぼこ型の屋根をした一畑電車の駅舎を出る。伯備線で見た川も溢れるばかりの雨とは打ってかわって、太陽の日差しが照りつける晴天となった。雨にザーザー降られるよりはいいけれど、炎天下を歩くのもなかなかきつそうだ。
「みちゃん、歩ける?」電車を降りたときよりは元気を取り戻しているように見えるが。
「大丈夫だよ。自分の足で歩いてる方がいいんだ」
「じゃあ行こうか」
 前の道を左に進む。出雲大社とは反対方向になるが、予定外の寄り道もいいだろう。
 この道は神門通りと呼ばれ、商店街にもなっている。二百メートルほど歩くと橋のたもとに電車の窓から見た出雲大社の鳥居がある。コンクリート製の一の鳥居だ。こんなところにあるから、一畑電車で来てまっすぐ大社に行くと一の鳥居はくぐらないことになる。
 橋を渡った先の閉館したホテルが廃墟と化している。出雲阿国の銅像を眺めたりしてさらに五、六百メートルほど進むと、左側に黒い瓦屋根を戴いた立派な和風建築が見えてきた。旧大社駅だ。
「すっごい!」みつこさんが叫ぶ。
「よくこんなの残っているなぁ」見た瞬間に、この寄り道は正解だったと二人で喜ぶ。
 官設鉄道の大社線が開業したのは一九一二(明治四五)年だが、この駅舎は一九二四(大正十三)年に建て替えられたものだという。出雲大社をイメージした木造平屋建てで、国の重要文化財に指定されている。
 外から全体を見渡すと二階建てのようにも見えるが、中に足を踏み入れると天井の高い平屋建てだということがわかる。団体客の来訪なども想定したのだろう、待合室は広くて開放的だ。明かり取りの窓、行灯型の照明、柱と漆喰の壁、ひとつひとつがバランスよく配置されている。待合室の一隅にある観光案内所もなかなか凝った造りだ。
 改札口がいくつも並んでいて、出るとホームがある。改札に面して一面、その向かいに島式ホームが一面ある。大社線は出雲市〜大社間七・五キロの短い盲腸線だったが、一九八○年代まで大阪から直通する急行列車も走っていた。そのためかホームも七、八両は停まれそうなほどに長い。錆びているがホーム周辺だけは線路も残っていて、往時の面影を偲ぶことができる。
 向かいの島式ホームへ行くには構内踏切を渡る。反対側の三番線とも呼べそうなホームの一隅にD51形蒸気機関車が保存されていた。雨ざらしになっているせいか、塗装も剥げて傷みは激しい。運転台に上がることができたので、機関助士席に座っているところをみつこさんに写真を撮ってもらった。
 駅舎側のホームに戻ると駅事務室だったところからおばちゃんが出てきて、
「こっちに貴賓室がありますよ」
 と教えてくれる。そういえばさきほどから駅事務室だったところでおっさんが新聞を読んでいたりして、あの空間はなんだろうと不思議に思っていたのだが、改装して喫茶店にしているらしい。おばちゃんが声をかけてくれたのは、観光案内というより喫茶店への誘い文句だったようだ。
 貴賓室はその喫茶店の奥(駅前ロータリー側)にあった。八畳間くらいの部屋に白いテーブルクロスが敷かれたテーブル、白いカバーが掛けられた椅子が六脚並んでいる。天皇陛下は利用しなかったみたいだが、御名代が参拝するときに利用したという。
「ここでお茶してく?」小声でみつこさんに訊く。
「しないよ」
 こういうところは女のひとの方がシビアである。おばちゃんには悪いが、喫茶店は利用しないまま出てきてしまった。
 大社線はJR民営化後の一九九○(平成二)年に利用客減少を理由に廃止されてしまった。ホームに出たとき、錆びた線路の先を眺めたら、廃線跡は道路になっていた。出雲市から隣の荒茅まではサイクリングロードになったようである。



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