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走れ!バカップル列車 第61号 東北線夕刊輸送電車 |
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一 上野駅から出る東北線の普通電車といえば黒磯行きだった。中学・高校生のころに持った印象だから、かれこれ三十年も昔の話である。 その印象が強いのは、東北線で一番遠くまで行く普通列車が黒磯行きだったからである。特急・急行列車には仙台や青森まで走る列車はたくさんあったが、普通列車で福島や仙台まで走るものは私が実際に見た限りではなかった。一九七八(昭和五三)年十月以前の時刻表を見ると、上野から岩手県の一ノ関まで十一時間以上かけて走る客車の普通列車があったりして驚くが、すべて電車化されてからは黒磯以北を走る上野発の列車はなくなっている。 三十年前の上野駅といえば東北新幹線開業を間近に控え、それだけに在来線の列車が華やかだった時代だ。東北・常磐・上越・信越各方面に数多くの特急・急行列車が行き来していた。反対に普通列車は長距離列車の合間を縫うように走っていたから、当時、東北線の普通電車は平日下りで合計四十八本しかなかった(大宮始発を含む)。このうち黒磯行きが十五本、宇都宮行き十三本、日光行き三本、小金井行き十七本である(『交通公社の時刻表』一九八二年五月号より)。私が持ってた印象と違って小金井止まりが黒磯行きより多いのは、小金井行きは日中よりも夕方ラッシュ時間帯に多かったためであろう。当時は日中の普通電車は三十分に一本の頻度でしかなかった。 東北新幹線開業で在来線を走る特急・急行列車はそのほとんどが廃止された。線路に余裕ができた分、普通電車は次第に増発されてゆく。黒磯行きの電車もそれに合わせて増えて行き、JR開業の一九八七年四月一日には二十五本、一九九二年三月のダイヤ改正では三十一本にまで増える。この三十一本が上野・大宮・池袋方面から黒磯まで走る運転本数のピークで、その後一九九四年十二月三日の改正で黒磯行きは十七本に大幅削減されてしまう。日中の電車の多くが宇都宮で分離され、黒磯までは宇都宮発の区間運転列車が走るようになったのである。 黒磯まで走る普通電車がさらに劇的に削減されたのが二○○四年十月十六日のダイヤ改正である。その三年ほど前(二○○一年十二月)に開設された湘南新宿ラインがこのとき大増発され、さらに東北・高崎線の普通電車にグリーン車が二両連結されることになった。宇都宮〜黒磯間ではグリーン車の需要が少ないと見込まれたのか、グリーン車が連結される列車はすべて宇都宮止まりとされ、上野から黒磯まで走る列車は二本だけに減ってしまった。その後グリーン車が黒磯まで連結されるようになったり、黒磯行きが五本に増えたり再び減ったりしながら、現在の黒磯行きは上野発13時20分、19時34分、20時55分の三本となっている。 普通電車全体でみると大宮始発、湘南新宿ラインも含めて平日下りは合計百十七本、日中でさえ十分に一本の頻度で走っているからずいぶん便利になったものである。 風前の灯火となった黒磯行きだが、本数とともに発時刻にも多少の変動がある。十九時台、二○時台のものがなく十三時台と十七時台だけのときもあった。そんな中で唯一消えることなく、スジ(列車の走る時間帯や運転区間)もほとんど変わらずに残っているのが13時20分発の583Mである。ダイヤ改正によっては13時15分発になったり、発車番線が変更になったり、列車番号が変わったりもしたが、とにかくどれだけダイヤ改正があってもこのスジだけは上野駅の低いホーム発かつ黒磯行きなのである。 これにはなにか理由があるはずだ、と私は思った。 583Mの謎を解明すべく、数年前のある日、私は昼下がりの上野駅に行ってみた。上野駅の在来線ホームは一番線から十二番線までが上野公園寄りの高架ホーム、十三番線から十七番線までが中央口改札から段差なく行ける地上ホームとなっている。 583Mは地上ホームの十五番線から発車する。来てみると最新型のE231系電車が停車していて、いちばん後ろの車両は客席の四分の三ほどのスペースが荷物室にされていた。客室との境には大きく「荷物用」と書かれたカーテンが掛けられ、乗客が入ってこられないようになっている。ドアの窓ガラスの向こう側にも「荷物室」の札がぶらさがっている。荷物室とされている車内をのぞいてみると床に新聞が積まれていた。 なるほど、これか! と納得がいった。 この黒磯行きの隠れた使命は夕刊を沿線各地へ送り届けることなのだ。 隣の十四番線には13時44分発の高崎行き普通電車がやってきた。旧型の211系電車で最後部の車両一両まるごとが「荷物室」に変身した。こちらの高崎線電車も夕刊輸送列車であった。これはいつかは乗らなければならないなと思った。高崎行きは本数が多いから希少性はないが、583Mは新聞を輸送するために黒磯行きとして存続しているところが憎い。どちらかに乗るならやはり583Mだ。 583Mのスジはいつごろから設定されているのだろうか。過去の時刻表をたどってみると、一九九五年十二月一日のダイヤ改正で上野駅の地上ホームから発車していた13時21分発の列車がそれまでの宇都宮止まりから13時15分発の黒磯行きに延長され583Mを名乗っている。九五年といえば黒磯行きが削減されはじめた時代である。そんな中、わざわざ宇都宮止まりが黒磯行きに延長されているのは夕刊を運ぶためだと推測できる。 そうなると九五年に黒磯行き583Mが設定される前はどうやって新聞を運んでいたのだろうか。国鉄が郵便・荷物輸送から撤退したのが一九八六年、このとき鉄道郵便がすべて廃止され、荷物列車もほとんどが消えていった。ただし両国発房総方面など新聞輸送のための荷物専用電車が九六年ごろまで存続していたから、東北線方面も583Mが登場するまでは専用の荷物列車があったのかもしれない。あるいは13時台の別の黒磯行き普通電車に夕刊を載せていたか。しかし前後の時間帯を見ても地上ホームからではなく高架ホーム発しかない時代もあり、その場合、どうやって荷物を車内まで運んでいたのかが疑問になる。謎を解明すべくあれこれ途中まで調べてみたが、結局よくわからなかった。 |
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