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走れ!バカップル列車
第54号 特急スーパービュー踊り子



   一

 夏も終わろうとしている八月のおわり、伊豆の「シャボテン公園」というところでカピバラの赤ちゃんが生まれたというニュースが入ってきた。
「八月二十三日、伊豆シャボテン公園の人気者、カピバラの夫婦、父親の雷(二○○九年八月十一日生まれ)と母親のいくら(二○○八年七月二十四日生まれ)の間に、四頭の可愛い赤ちゃんが誕生!」(二○一二年八月二十九日 東京ウォーカー)
 改めて説明する必要もないが、カピバラはネズミ目あるいは齧歯(げっし)目という、いわゆるネズミの仲間では体がいちばん大きな動物だ。そのおとなしい性格とのんびりした風貌が人気を呼んでいて、「カピバラさん」というカピバラを模したキャラクターまで出現しているほどである。
 私がはじめてカピバラを見たのは二○○九年六月に訪れた旭山動物園だ。みつこさんは「あ、カピバラさんだよ、カピバラさんだよ!」と大喜びだったが、私にしてみれば、体は茶色くてあまりきれいではないし、毛もごわごわしていて硬そうだし、とくに強い印象もなかった。のちのち写真やテレビの映像などを見て、つぶらな瞳やら、伸びた鼻の下やら、その独特の風貌を何度か見るうちに、じわじわとその愛らしさがわかってきた。
 そのカピバラの赤ちゃんが伊豆で生まれたという。朝ごはんを食べながら、みつこさんに話しかけてみる。
「みちゃん」
「なに」
「知ってる? 伊豆でカピバラの赤ちゃんが生まれたんだよ」
「え、ホント? カピバラさん? カピバラさん?」
 みつこさんの目がキラキラと輝きはじめる。
「うん、カピバラの赤ちゃん。四匹も生まれたんだって」
「すごいじゃーん!」
「そのうち一匹は名前も募集しているらしいよ」
「すごいじゃーん!」
「行ってみる? 伊豆」
「え、行ってみる? 行ってみる?」
 いつにないはしゃぎっぷりだ。
「行こうか」
「行こうか、行こうか」
 夏休み中は混んでるだろうからと行く気が起きなかったけど、行楽客の波が引いたあとの伊豆なら行ってみるのも良いかもしれない。
「民宿なんか、泊まっちゃったりして。安っすいところ」
「ハハハ、民宿、民宿。むかしよく泊まったよ、民宿。高校生のころとか」
「そんで汚いの。亀虫とかいて。くっさくてサ」
「ハハハハ。亀虫ね。いるよね」
「じゃあ、行ってみようか」
「行ってみようか」
「トイレは共同だよ、民宿だから」
 みつこさんはトイレ共同はあまり好きではない。
「うん、トイレは共同だよね、民宿だから」
 今回は共同でもいいことになった。
 パソコンを開いて、ネットで伊豆の民宿を検索してみる。ところがいまどきは民宿といっても、部屋はきれいだし、値段だってそれほど安くはない。以前、テレビに出ていて、いつか行ってみようとメモしていた民宿もネットで出てきたが、一人一泊一万円以上もする。しかも九月以降も満室ばかりで、ふらっと出かけて泊まれるような状況ではない。
「ねえ、ちょっと、みちゃん」
 みつこさんを呼んで、一緒にパソコンの画面を眺める。
「いつか行ってみたいねっていってた伊豆の民宿あるじゃん」
「うん、あった、あった」
「ここなんだけどサ。やたら部屋がきれいなの」
「ホントだ! 高級旅館じゃん」
 部屋がきれいなのがイヤだ、というのもおかしな話なのだが。
「そう! しかもお値段一人一泊一万円以上するの」
「えーっ!」
 そう叫んだきり、みつこさんは絶句してしまった。
「やめようか……」
 言うと、みつこさんは静かにうなずく。
「日帰りにしようか」
「う、うん……日帰りにしよう。そのほうが、ふらっと行って、ふらっと帰ってこれるし」
「じゃあ、電車の切符が取れたら行くって感じで」
「うん、いいよ。電車はなんでいくの?」
「『スーパービュー踊り子』か、ふつうの『踊り子』」
「わかった」
 駅に行き、指定券券売機で特急券を買う。来週にするか、明日の日曜日にするか迷う。
「思い立ったら、すぐ行ったほうがいいよ」
 みつこさんがいうので、翌日の九月二日の「スーパービュー踊り子1号」の普通車の特急券を取ることになった。本当は一号車グリーン車の運転席越しに前の景色の見える席が良かったのだが、乗車日がすぐ翌日に迫っているので、どの列車も座席は埋まっていた。

 特急「スーパービュー踊り子」は一九九○(平成二)年四月に運転を開始した東京方面と伊豆方面を結ぶ列車である。国鉄時代の一九八一(昭和五六)年十月、特急「あまぎ」と急行「伊豆」を統合して特急「踊り子」が登場したが、車両設備や停車駅の面から中途半端な位置づけから脱することができていなかった。そこでJR東日本がさらにワンランク上の特急として、停車駅の少ない、特急らしいグレードを備えた列車を計画。251系特急形電車を使用した「スーパービュー踊り子」がデビューしたのである。
 列車に乗った瞬間からそこがリゾートというコンセプトで開発された251系電車は、ビジネス利用を優先させたそれまでの列車とはあらゆる面で一線を画している。十両編成のうち、一、二号車のグリーン車と十号車が二階建て、そのほかは平屋だが、屋根の高さは二階建てと同じ高さに揃えてあるため編成全体の車高が高い。三号車から九号車までの普通車も平屋とはいえ大きな窓が天井まで続いているのでとても開放的だ。先頭車の運転席付近から横顔にかけての車体形状と窓配置のデザイン、そしてぼてっとした車体から、編成全体がどことなく芋虫のようにみえる。二階建て車両一号車の一階部分はグリーン車の乗客専用のサロン、二号車の一階はグリーン個室、十号車の一階は子供室になっていて、列車にいながらリゾート気分が楽しめるよう、内装・設備面の工夫が満載である。
 定期・季節列車の「スーパービュー踊り子」は現在五往復運転されていて、朝の下り、夕方の上りに新宿もしくは池袋発着の列車が二往復ある。残りの三往復は東京駅発着となっている。



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