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走れ!バカップル列車
第39号 寝台特急北斗星



   七

 室蘭本線は長万部を出ると次の停車駅洞爺まで、海までせり出した崖の中を走り抜ける。おそらく火山が影響しているのだろう、急峻な山々が海にまで流れ込み、そして断崖になって尽きている。静狩峠、礼文華峠という峠があって古くから交通の難所だったという。海沿いの土地に峠というのも不思議な感じだが、海岸線は崖で行き来ができず、その奥の山中のわずかなくぼみを進むから峠なのだ。
 静狩を通過するころ、行く手に切り立った崖が立ちはだかる。窓のすぐ下は海だ。線路はぐいぐいと右にカーブする。目の前には噴火湾が広がり彼方にかたちの良い駒ヶ岳がすっと佇んでいる。そうこうするうちに崖はさらに迫ってきて、どうするのかと思っている矢先にトンネルに入った。静狩トンネルだ。
 静狩トンネルを抜けたあといくつかまた小さいトンネルを抜けると、トンネルの狭間に小幌という駅があった。一瞬しか見えなかったが、山かげで日当たりが悪く、なんだか薄暗い。ホームも一、二両分しかないから、ずいぶん寂しい印象だ。次の瞬間に入ったトンネルは礼文華山トンネルである。抜けるとさらに右にゆるやかに曲がる長いカーブがある。カーブの途中では、前には凸型をしたブルーのディーゼル機関車、後ろにはブルートレインの客車がずらりつながっているのが見える。
 礼文を通過した後も「北斗星」は断崖を越え、トンネルを抜けて走る。場所によっては上下線がかなり離れていて、海側を走る上り線が絶壁の遥か下を走っているところもあった。
 そうしながら大岸、豊浦と過ぎ、洞爺に到着した。洞爺湖の最寄り駅である。万国旗やモニュメントが飾ってあったりして、ホームは洞爺湖サミットの名残をまだ留めている。中年のご夫婦が一組だけ降りた。発車時刻は8時59分のはずだが「北斗星」は洞爺を四分ほど遅れて発車した。
 三十分ほど走ると東室蘭に近づく。煙突や石油タンクなどが見えてきて景色は一転工業地帯になる。手前の海は室蘭港でその向こうの丘は絵鞆半島だ。アンテナが何本も立っている丘は測量山というらしい。東室蘭の駅構内は広く、向こうの線路には普通列車用の赤い電車が停まっている。
 東室蘭を発車すると二人でまたベッドに横になって寝てしまった。気がつけば苫小牧手前の草原を走っている。短い間だったが熟睡できたので、頭がだいぶすっきりした。みつこさんの乗り物酔いも少しは快復したようで、もう起きあがれるようになった。顔色もだいぶ良い。食堂車でお茶だけでもしようかと行ってみたが、ラストオーダーは十時までだったのでお茶はできず、とぼとぼと九号車二番の個室に戻った。
 列車は苫小牧の次の沼ノ端から千歳線に入っていて、緑に覆われた原野の中を走っている。
 昨夜車掌さんに出してもらった補助ベッドをしまおうと思う。札幌までダブルベッド状態のままでも良かったのかもしれないが、終着前に「ロイヤル」本来の姿に戻しておきたかった。
 室内にある説明書を見ながら操作するが、補助ベッドの高さをなかなか低い位置に戻すことができない。
「ここを押しながら、ベッドを押さえつけるんだよね?」
「わかんないよ」
 みつこさんは補助ベッドを仕舞うことに消極的である。
「あれ、ここかな?」
「もういいよ、やめようよ。手とか挟んで怪我するよ」
 みつこさんは心配するが、もうひとつのレバーを握りながら体重をかけたら、風船の空気が抜けていくように補助ベッドが下に降りていった。
「できた!」
「え、すごい、ひろさん」
 無事に補助ベッドをソファの下に潜り込ませることができて、昨夕最初にこの部屋に来たときの状態に戻すことができた。シーツもきれいに敷き直し、二人分の毛布と枕は壁際に重ねて積んだ。もう一度この室内で記念写真を撮っておく。
 写真撮影後は、札幌までこの部屋でのんびりくつろぐ。みつこさんはソファ状態に戻った一人分の寝台に靴を脱いで上がり込み、積んだ毛布の山を背もたれにして窓の外を眺めている。私は同じソファの窓際に座って過ぎ去る景色を追いかける。
「みちゃん、具合はどうだい」
 窓から目を離して、みつこさんに尋ねる。
「少しはおさまってきたけど」
「そんならよかった」
「でも、なんで酔ったんだろ?」
「なんでだろうなあ……」
「この部屋が豪華だからかな」
「そんなことはないでしょ」 「豪華だから、揺れも豪華だったのかな」
「それも違うでしょ」
 新千歳空港を離陸したばかりの大きなジェット機が窓のすぐ目の前を飛んで行った。新千歳空港からの線路と釧路方面からの石勝線が合流すると南千歳に停車。次の停車駅はもう札幌である。
 千歳を通過すると景色はだんだん市街地になり、大きなマンションが現れる。駅と駅のあいだはまだ原野になることもあるが、次第に緑は少なくなる。新札幌までくるともう札幌市街で、大型のショッピングセンターなどが建ち並ぶ。
 旭川方面からの函館本線が右側から合流して複々線になる。平和、白石と通過して、豊平川の鉄橋を渡る。車掌が札幌からの乗り換え列車のアナウンスをしている。札幌の一つ手前の苗穂には機関区があって、特急や鈍行用の電車やディーゼルカーがたくさん並んでいるのが見えた。
 上野から一二一四・七キロ、十六時間十二分におよぶ寝台特急「北斗星」の旅もようやく終わりを迎えようとしている。高架線への勾配を登り、スピードが少しずつ落ちてゆく。ガタンゴトンとポイントを渡り、「北斗星」は終着駅札幌の三番ホームに停車した。時刻は11時19分。定刻より四分遅れの到着であった。
 二人でホームに降り立つ。振り返り、十六時間乗り続けたブルーの客車を改めて眺める。方向幕に書かれた「札幌」の文字。本当にこの列車で札幌にやって来た。
 一番前の機関車を見に行く。ホーム先端に着いてみると、客車の色と同じ色に塗られた青い重連のディーゼル機関車は先頭がホームからはみ出した状態で停まっている。
「あらら、ヘッドマーク、見えないね」
 函館でもそうだった。これではホームからヘッドマークを入れて記念写真を撮ることができない。しかたがないので、いちばん後ろのテールマークを見にいくことにした。
 電源車、十一号車、十号車……と、千二百キロを走り抜けた青い客車たちを一両一両眺めながら最後尾の一号車に向かう。
「もう少しでいちばん後ろだ」
 あとちょっとで一号車にたどり着く。テールマークを入れて写真を撮ろうか。そう思っていたちょうどそのとき、「北斗星」の客車はなにも言わないまま静かに動き出し、回送列車として手稲方面へ走り去ってしまった。



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