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走れ!バカップル列車
第84号 京都鉄道博物館



   四

 京都鉄博からの帰りは丹波口駅からJR山陰本線(嵯峨野線)に乗って宿に向かう。
 梅小路公園の北の外れの山陰本線が七条通を跨ぐところでは、新駅の建設工事が進められている。この駅が開業すれば京都鉄博や梅小路公園へのアクセスは抜群に良くなるはずだ(新駅「梅小路京都西駅」は二○一九年三月開業)。そうはいっても丹波口までの距離も一キロほどでしかなく、みつこさんには「二十分くらい歩くけど、いい?」と了解を得てぷらぷら歩きはじめた。
 七条通を渡り山陰本線の高架線に沿う道は千本通と呼ばれ、平安京の「朱雀大路」跡にある。朱雀大路はいちばん幅も広かったといわれているが、現代の千本通は人気(ひとけ)のないひっそりとした細い道である。高架脇で日が暮れかけていることもあって、なんとなく薄暗くて寂しげだ。そんなところも面白がりながら歩いていると、いまは使われていないのか、敷地全体が草に茫々と覆われた小さな公園があった。立入禁止とは書いてないが、実際入るにはかなり躊躇する。
「ねえ、あのブランコ使えないじゃん」
 みつこさんが公園の入口を覗いて指さす。色あせたブランコが草に覆われている。
「この公園使っているのかな?」「わかんないよ」
 口々に疑問を呈するが、本当の答えを求めているわけでもないので、使われているのかどうか最後までわからなかったが、ブランコの下の部分だけちょっと草が薄くなっていたから、ひょっとしたらたまに誰かが使っているのかもしれない。
 さらに進むとずいぶん立派な石碑が目にとまった。『島原西門碑』とある。その文面によると京都随一の花街「島原」(西新屋敷)の西門がこの近くにあったという。そうか、「島原」は朱雀大路の脇だったのか。以前来たときは東門から入ったから朱雀大路のことは意識しなかった。こんな位置関係だったとは意外である。江戸の「吉原」が市街地拡大に伴って日本橋から浅草に移転したことでもわかるが、花街はおおよそ街はずれにつくられるものである。京都でも同様で「島原」がここにあるということは、道路の区割りとは別に現実の京都市街がいかに左京に偏っていたかを物語っている。
「島原」の「角屋もてなしの文化美術館」も一度見学に行きたいと思いながら、なかなか見学時間が合わなくて行けずじまいである。
 おなかが空いてきたのか、みつこさんの足が少しずつ速くなっている。今夜の宿に向かうため、きょうも「島原」は素通りするしかない。

 紅葉はよかったのかどうか、結局よくわからなかった。大山崎山荘美術館の紅葉は鮮やかで見事だったし、叡山電車の沿線は紅葉になる前に葉が散ってしまったところが多かった。
 年が明けた二○一九年一月、私はある鉄道写真のグループ展に参加することになった。「谷根千ぎゃらりーKnulp(クヌルプ)」で開催される公募グループ展「鉄道 vol.7」(会期:二○一九年一月二六日〜二月三日)である。
 GTYの仲間数名が参加しているということで、Knulpでの展示は何度か観に来ていたが、ついに今度は自分も出展者の一人に名を連ねることになった。この公募展は厳しい審査ではなく、先着順で出展者が決まる。出展作品も自分で自由に決めていい。自由である分なにを出展するか迷ったが、やはり京都鉄博のEF66とDD51の床下を撮った二枚ひと組の写真を出すことにした。展示のしかたもプリントの額装ではなく、プリント面にアクリル板を圧着する加工を施して変化を加えた。
 そうしておよそ一週間に渡る会期を迎えた。毎日は無理だが土日を中心に私もできるだけギャラリーでお出迎えをすることにした。初日から最終日まで本当にいろんな方が来てくださった。今回出展していないGTYの仲間たち、友達のプロのカメラマンたち、予備校の友達、昔の職場の友達……思いもよらなかった方々がひょっこり来てくれたのがうれしかった。ほかの出展者たちとも知り合い、またそのすごい作品に触れることもこの上ない収穫だ。とにかく毎回、新たな発見や驚きの連続だった。
 なにより驚いたのが私がコピーライターとして働いていたときの師匠、西村佳也さんがわざわざ谷中まで足を運んでくださったことだ。文章修行ではとても厳しい先生だったが、ニコニコと笑顔を浮かべながら私の写真を見て「変わってておもしろいね」と一応お褒めの言葉をいただいた。
 西村さんが「変わってる」といったとおり、機関車の床下だけを撮った鉄道写真はたしかに変わっている。「さっぱりわからない」「どうやって撮ったの?」という疑問、質問も多かった。写真やカメラにくわしい人からは超広角の「魚眼レンズで撮ったの?」とも訊かれたが、そんな高級な機材は持ち合わせていない。
 そこでポケットからおもむろにiPhoneを取り出し、「これで撮ったんだ」と答えるとほぼ全員が驚いた顔を見せる。まさかスマホで撮った写真を展覧会に出すとは思っていなかったのだろう。
 京都鉄博のEF66とDD51の床下はiPhoneの「パノラマ」機能を使って撮った。「パノラマ」という機能も重厚な機材を使いこなす人ほど意外に映るようだ。しかもiPhoneそのものをレールに平行に動かすのではなく、車輌の中央付近にしゃがんで、手首だけを回して撮る。そうすると車輌の両端は細く、中央付近は大きく膨らむように撮れる。写真だけ見れば、たしかに魚眼レンズで撮ったようでもある。パノラマ機能のこの使い方は、考えてみれば「第79号 嵯峨野トロッコ列車」で登場する人力車の車夫、松村さんから教わった方法だ。撮ったのも京都なら、方法を教わったのも京都だった。
 惜しくも会場ではお目にかかれなかったが、藤永晴俊さんも大阪から駆けつけてくれた。かさ上げ展示の仕掛け人である藤永さん直々にこの写真を見ていただけたのはとても光栄なことだ。
 もうひと組、こちらも会場でお会いできなかったが書家の林加楊さんもご主人様と一緒に来てくださった。後日、ご本人にお話を聞く機会があったので、「わからないという声が多かったので、説明書きとか添えた方がいいか?」と相談したところ、
「わかりやすければ良いというものではないでしょう。わからないのはわからないままでもいいんです。逆に観る人を選ぶような作品であってもいいんじゃない?」
 とさすが芸術家らしいお答えをいただいた。
 今後展覧会に出品するときは、変に媚びることなく、かといってわざと不親切にすることもなく、自分なりの考え方を貫いた作品を問うことにしようと新たな決意を固めることができた。


※本文執筆にあたって藤永晴俊様には多大なるご協力をいただきました。ありがとうございました。
【参考文献】「鉄道ファン」(二○一六年六月号)交友社



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