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走れ!バカップル列車 第75号 カシオペア狂想曲 |
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四 函館駅を発車してしばらくするとおじさんが満足げな笑顔で食堂車から戻ってきた。私のアドバイスを受けて、函館停車中に中座することをあらかじめクルーに伝えたところ、ほかにも函館で撮影したいという人が続出したので、デザート前に函館での撮影タイムを設けてくれたそうだ。 入れ替わりでこんどは私が食堂車に向かった。三回目のディナーの後はパブタイムといって二十三時まで予約なしで食堂車を利用できる。隣の車両まで行列が続いていたが、ギリギリ相席で座ることができた。向かいには頭がつるつるに輝いているおじさんが座っていた。ビールとビーフシチューを注文。 食事を待っていると、ちょうど青函トンネルに入る時間(22時17分)になった。「あ、これが青函トンネルだね」などと言いながら、つるつるのおじさんとあれこれ話す。もちろんおじさんも鉄道おたくだから話題は鉄道のことだ。 「個室一部屋二万、三万そこらで発売したことにJRは後悔してるだろうね」 おじさんは言う。私もまったく同感だ。全室満室になったところで、到底採算は取れないだろう。クルーズトレインのように百万円単位になるのもどうかと思うが、せめて一部屋十万円前後でなければ利益は出ない。仮にそうした価格設定をしておけば、「カシオペア」もいまとは違った運命をたどったのではないだろうか。 食べて、飲んで、話して、かなり良い気分になって、青函トンネルの途中で会計を済ませて食堂車を出た。つるつるのおじさんは何号車なのか聞くのを忘れてしまった。 六号車に戻ると隣の二十四番のドアは閉まっていた。私も自分の個室に入ってぼんやり車窓を眺めた。青函トンネルは22時52分に抜けた。 翌朝、六時ごろ目を覚ました。列車は郡山の手前を走っていた。夜は明けているが空はどんよりくもっている。 七時半ごろ朝ごはんを食べに食堂車に行くと、通路を挟んで向かい側の席に偶然二十四番のおじさんが座っていた。私を見つけてニコニコ笑っている。 寝台特急は定刻9時25分に上野に着いた。おじさんは上野駅でも、白髪を振り乱して撮影にいそしんでいる。 「あれ、お土産はどうしたんですか?」 昨夜、おじさんは車内販売のワゴンからマグカップやらトートバックやら一輪挿しやらのあらゆるカシオペアグッズをそれぞれ五個、六個と爆買いしていた。ワゴンごと買うつもりじゃないかと思うくらいの勢いで、総額は五万円を超え、クレジットカード一枚では足りず、二枚使って支払っていた。そのお土産をいま手にしていない。 「あそこに置いてあるんですよ」 おじさんの指さす方を見たら、ホームの柱の下に大きなビニール袋がいくつもどかんと放置してある。誰かが見張りをしている訳でもないらしい。 「大丈夫ですか?」 「大丈夫でしょ」そう笑って、また後ろの方に写真を撮りに行ってしまった。 (本当に大丈夫だろうか?) 心配しながら上野駅を後にした。 道南への撮影旅行はその後、十二月二十六日から二十九日まで、二○一五年二月五日から七日まで、三月十八日から十九日までの三回に渡った。それだけ通ううちに面白いアングルの写真も撮ることができた。 二月は「みなみ北海道フリーきっぷ」という割引切符を使ったので往復とも鉄道だった。二月七日の帰りに特急「白鳥22号」に乗ったのが在来線としての青函トンネルに通過した最後だった。「白鳥」に使われている車両は485系という国鉄型特急電車で、今回のダイヤ改正を機に全国から姿を消す。だからこの「白鳥22号」は奇しくも485系の最後の乗車でもあった。 「撮り鉄」は学生の時以来だが、久しぶりにやってみてとても楽しかった。室蘭本線の豊浦、北舟岡、黄金、江差線(現・道南いさりび鉄道)の釜谷など、「バカップル列車」の旅では立ち寄ることのなかった小さな途中駅に下車するのがこんなにも楽しいということを改めて発見した。 東室蘭にも「撮り鉄」でなければ滞在することはなかったはずだ。駅西口近くに『のかおい』というおいしい焼き鳥屋さんを見つけて、お店の方にもとても親切にしていただいたので、東室蘭に来るたびにお邪魔してしまった。 人びととの出会いも愉快だった。豊浦で出会った青年に限らず、北舟岡で出会った親子のファン、釜谷の待合室で切符を売る委託のおばちゃん、「はまなす」に乗っていた鉄子の二人組……行く先々でいろんな人たちと語り合った。「撮り鉄」でいえば、場所の取り合いなどで口論になるなどと噂で聞くが、私が撮影しているときはそんな場面には出くわさなかった。最初に声をかけたりかけられたり、ひと言ふた言、言葉を交わしてみれば、その後怒鳴り合うなんて気にはお互いならないものだ。北海道でも「ヒガハス」でも、譲ったり譲ってもらったりして楽しく撮影することができた。 白髪のおじさんとは二月二十三日に上野駅十三番線でバッタリ再会した。十一月に乗車した後も、二、三回「カシオペア」に乗ったらしい。その日も再び「カシオペア」で札幌まで行くんだと誇らしげな顔で旅立っていった。私以上に狂っている人に会うことができて、なんだかとてもうれしかった。 北海道新幹線開業は三月二十六日だが、在来線から新幹線への「地上設備最終切替」のために三月二十二日未明から二十五日まで海峡線は全線が運休になる。そのため特急「スーパー白鳥」「白鳥」は三月二十一日の上下最終列車、急行「はまなす」は上りが二十日発、下りが二十一日発、寝台特急「カシオペア」は下りが十九日発、上りが二十日発の列車をもって運転終了になる。 下り「カシオペア」の最後の上野発車は見送ることができなかったが、上り最終列車の上野到着はここまでのいろいろな感謝をこめてみつこさんとともに出迎えたい。上野着は三月二十一日9時25分。これが本当に最後の最後だ。 前の日、テレビを見ているみつこさんに声をかける。 「みちゃん」 「なに」返事がくる。 「『カシオペア』の最後の列車が上野駅に着くところを出迎えに行こうよ」 「うん、行こう行こう」 翌二十一日、みつこさんと私は上野の一つ隣の鶯谷に降り立った。鶯谷にしたのは大混雑するであろう上野駅を避けたかったからである。南口近くの陸橋には二十人くらいの鉄道おたくたちがカメラを構えていたが、ゆったりと列車を眺めることができる。 九時二十分過ぎ、前方から銀色車体の機関車と客車が近づいて来た。 「みちゃん、来たきた!」 「みんな、こっち見てるよ!」 十二両編成の客車がゆっくりと足もとを走り抜けてゆく。カメラを構えるのもそこそこに私たちは列車に向かって手を振った。 二十分後、こんどは尾久の車庫へ向かう回送列車がやってくる。後押し機関車の運転席には機関士、助手が三人ほど乗っていてこちらに手を振ってくれる。 前面の窓のところになにか白っぽい大きな塊が置いてある。 「あれ、なんだったんだろうね?」二人で不思議に思っていたが、後で写真を拡大したら、上野駅で贈呈された黄色い花束だった。 |
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