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走れ!バカップル列車 《10周年記念号》 第64号 全線復旧三陸鉄道(南リアス線) |
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三 ディーゼルカーは一歩一歩足もとを確かめるようにレールの上をゆっくり滑ってゆく。座席にみつこさんを残して私は運転席横の窓にかじりつき、前方の景色を眺める。 駅から二百メートルほど進んだところで甲子川を右岸から左岸へ斜めに渡る。釜石からの一キロほどはトラス形鉄橋がくねくねと連続している区間だが、昨年、南リアス線に乗ったときの運転士によれば、地震の影響で橋が全体的に動いてしまったので、橋桁をずらす工事が必要だったという。 車内アナウンスの自動放送が終わると運転士が自らマイクを取って車窓の解説をはじめる。 「左手に見えてまいります建物は、今年三月に建ちましたイオンタウン釜石店でございます。右手斜め下、流れます甲子川ではこの秋になりまして震災後はじめて鮭の遡上が確認されました。左手斜め前方、見えて参りますのは釜石湾でございます。右に、左に、いま現在の釜石市街の復興状況がご覧いただけます」 川沿いを高い鉄橋で走るので、左右に市街を見渡すことができる。イオンの手前は広大な空き地で建設資材が整然と置かれている。右岸には工場らしき建物が並んでいる。 左岸を三、四百メートルほど進むと再び斜めに甲子川を渡り右岸に戻る。線路はコンクリートの高架橋をそのままゆるく右にカーブしながら市街地を越え、正面に山が迫ってやがてトンネルに入る。 トンネルを出ると平田(へいた)だ。この付近、昨年はバスで通ったが丘の上の国道沿いには仮設住宅が建ち並んでいた。 平田のホームから左後方の丘の上に真っ白な釜石大観音が見える。釜石湾を見守るように立つ大きな観音様だ。三年前、みつこさんと釜石を訪れたとき、この観音様の中に登ったことがある。「観音様がみえるよ」そう言おうとして座席を振り返ったら、みつこさんは口を開けて爆睡していた。避難場所の丘に二度も登ったからくたびれたのだろう。しかたない。みつこさんにはそのまま寝てもらうことにして、私は前方を見続けた。 平田と唐丹(とうに)の間の石塚トンネルは全長四六七六メートルで南リアス線最長である。南リアス線の線路はリアス海岸の岬のつけ根をトンネルで抜け、湾の部分でトンネルから出てきて駅に停まるというパターンを忠実に繰り返す。トンネルを出たところが唐丹である。駅から海は見えないが、唐丹の集落は唐丹湾に面している。盛土の上にある駅だが、盛土を覆うコンクリートが真新しい。 唐丹で下り列車とすれ違う。向こうは新型36─700形とレトロ車両の二両編成だ。こちらが停車すると、すぐに発車していった。 36─700形は津波被害で失われたディーゼルカーの代替としてクウェート政府の支援で導入された車両である。南リアス線に三両が入線し、盛〜吉浜間の運転再開と同時に運用に就いている。私が昨年、吉浜から盛まで乗車したときはこの36─700形だった。車体側面にアラビア語、英語、日本語で感謝のメッセージが記されている。日本語の文面は「クウェート国からのご支援に感謝します。」 唐丹を出ると短いトンネルに続いて鍬台(くわだい)トンネル(三九○六メートル)があるが、そのトンネルとトンネルの間で鮭の遡上で知られる熊野川という川を渡る。線路は海から一キロほど離れているが、津波は熊野川を遡り荒川橋梁は流された。コンクリート製の橋桁がまるごと失われ、前後の線路は飴のように曲がってしまった。 南リアス線吉浜〜釜石間が復旧までに三年もかかってしまったのは、荒川橋梁の流失が大きな原因といわれている。列車は新しく架け替えられた荒川橋梁をなにごともなく走り抜け、やがて鍬台トンネルに入る。 地震が起きたとき、南リアス線を走っていた唯一の列車は鍬台トンネルを通過していた。強い揺れを感じて急停止し、車両はそのまま三か月もトンネル内に取り残された。その車両がいままさに私たちが乗っている36─105なのだった。車内の壁にトンネルから出てきたときの新聞記事が掲示されている。そういう話があったことは知っていたが、じつは車体番号まではおぼえてなかったので、きょうこの車両に乗れたのはまったくの偶然である。 あの日、36─105にいた乗客二名と運転士は歩いてトンネルの外に出てヒッチハイクで大船渡まで戻ったという。地震発生があと数分でも遅れていたら列車は荒川橋梁付近で停止していたかもしれず、もしそうなっていたら被害はさらに大きくなっていた。そうしたいくつもの幸運と偶然をくぐり抜けて甚大な被害を免れたことから、この36─105は「奇跡の車両」とも呼ばれている。 鍬台トンネルを出ると左に海が見えてくる。運転士が放送で、アワビが採れる美しい吉浜湾ですと解説する。土壌改良工事もおわり、この秋には三年ぶりの稲刈りをしたそうだ。 昨年、訪れたときは釜石からバスで吉浜まで来て、吉浜から部分開通していた南リアス線に乗った。列車が来るまで時間があったので、夏には海水浴場になる浜辺や吉浜の集落をぷらぷらと歩いた。海岸付近は原っぱが広がり、少し登った高台に集落があり、駅がある。津波の被害を最小限に留めるよう、そのような街づくりがされている。原っぱと集落の境界付近に神社があり、その近くに津波の教訓を残す石碑がいくつも建っていた。 釜石で晴れていた空は次第にくもってきた。切通しと短いトンネルを抜け、列車は吉浜に到着した。窓の配置が顔のように見える駅舎とピンク色にペイントされた歩道橋が見える。志村けんが吉浜駅の非常勤駅長に就任したらしく、昨年この駅を訪れたときには駅舎内に志村けんの着た制服などが展示されていた。白鵬と一緒にきたイベントもこれと関連しているのかもしれない。 吉浜を発車すると列車は真っ直ぐの線路を快調に走り抜けてゆく。トンネルの坑門にひびが入ったところは補修され、盛土を覆うコンクリートは真新しい。左右の平地には重機が並んでいる。 羅生トンネルを抜けると越喜来(おきらい)湾が見えてくる。越喜来湾に面して越喜来、泊、少し離れて甫嶺(ほれい)という集落があり、一番大きい越喜来に三陸駅がある。駅前にも街並みが広がっていただろうがいまは更地ばかりである。海岸近くでは防潮堤復旧工事が進められている。トンネルを抜けた泊集落でも高さ五メートルはありそうな防潮堤を建設しているところだった。 小さな岬のつけ根をトンネルで抜けると越喜来湾に面するもう一つの集落、甫嶺に着く。真っ白なコンクリートで覆われた盛土の上を列車が進む。昨年来たときの運転士によれば、線路の左側は建物がなにもないのに、右側に残っているのは三陸鉄道の盛土が防潮堤の役割を果たしたからだという。もちろん震災前は左右とも街並みが続いていた。甫嶺付近は線路も流され、線路設備としては南リアス線でも最大級の被害だった。 |
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