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走れ!バカップル列車
第61号 東北線夕刊輸送電車



   四

 右から急カーブで水戸線が近づいてきて14時39分、小山に着いた。小山では二分停車する。下ろす新聞も多く販売店のお兄さんは四人いた。事業用の荷物は深緑の書類ファイルのほか、大きな巾着袋に入った荷物も下ろされていた。荷物室に一人乗り込んだ痩せたおじさんは、駅で新聞を降ろすたびに残りの新聞の整理をしている。次の駅はホームが右側だからと下ろす新聞を右側のドアに移動させたりと、休むことがない。
 次の小金井も駅北側に車庫があるからか駅員が三人がかりで荷物を受け取りにきていた。書類と荷物袋が二つ。新聞はお兄さんが三人で運んでいた。
 自治医大は新聞がなく、事業用の書類だけ。石橋は書類と新聞。雀宮も書類と新聞だが、新聞を受けとりにきた三人のうち、一人は赤と黄色の売店の上っ張りを着たおばちゃんだった。
 いくつものポイントをガタゴトと渡って普通電車は15時11分、宇都宮に到着した。東北線の下り列車は通常は七番線、八番線に発着するのだが、日光線用の五番線に停車したのはこのホームが駅舎に直結していて階段を上り下りすることなく新聞を運べるからだろう。
 宇都宮はさすがに栃木県の県庁所在地だけあって下ろす新聞はもっとも大量で、引き取りにきた販売店の要員も男女合わせて十人に上る。ドアが開いた瞬間から、おじさんたちが二つのドアから次々と新聞の束を持ち出し、直接台車に積み上げる。台車はぜんぶで六台あって積み込みが終わった台車から出口の方へとゴロゴロ運ばれてゆく。停車時間は九分あるが、実際の作業時間は一分もなかった。「きぬがわ5号」の乗務員が降りて行き、上野からの車掌もここで交替になった。
 二つあった水色のコンテナはひとつが丸ごと持ち出され、新聞もだいぶ減ったので、痩せたおじさんは「荷物用」の仕切りカーテンをドアひとつ分後退させた。これで一両の半分までが客室として使えるようになった。もっともここまで来ると私たち以外の乗客はあまりいない。
 宇都宮の発車は15時20分。ちょうど上野から二時間が経つ。東京、埼玉で晴れてた空は栃木に入って曇り空になり、宇都宮を過ぎるといまにも雨が降りそうな雲行きになった。岡本から先も各駅で新聞を下ろしていく。販売店の要員はだいたい一人か二人だ。
 鬼怒川の鉄橋を渡る。宇都宮からの線路は矢板方面へまっすぐ北上せず、宝積寺方向へ大きく東へ迂回している。開通当初はまっすぐだったが鬼怒川がたびたび氾濫して不通になったため、現在のルートにつけ替えられたという。いよいよ雨がぱらつきはじめた。宝積寺は烏山線の分岐駅である。駅員が書類ファイルを受けとっている。販売店員は新聞を受けとると両手に抱えて走っていった。田舎駅だからホーム先端部に屋根はない。
 窓の外は青々とした田んぼが広がっている。その田んぼのところどころに民家が一、二軒固まって散在している。砺波平野や出雲平野に多い散村の風景にどことなく似ている。蒲須坂、片岡と一面田んぼの中を進んでゆく。かかしがぽつんと立っている。あたりが真っ平らな分、送電線と鉄塔がやけに目立つ。
 矢板では事業用の書類もあり、新聞は販売店員八人が台車持参で受けとりに来ていた。野崎は駅員は待機していたが書類がなかった。新聞は二人。かつての塩原温泉への玄関口、西那須野では五人が新聞を受け取りに来た。雨がぼたぼた降っていてみんな出口へ向かって走って行った。矢板から隣のボックスに乗ってきた高校生たちもここで降りた。
 那須塩原は東北新幹線開業前は東那須野という急行さえ停まらない田舎駅だった。いまや自治体名までが駅名に合わせて那須塩原市になり、黒磯を圧倒するまでになっている。駅員は四人も来ていて、書類ファイルと荷物用の巾着袋を受け取っていた。新聞はおじさん三人、おねえさん二人が運んでゆく。黒磯まであと一駅だが荷物室と客室とを仕切るカーテンは外された。
 16時13分、終点の黒磯に到着した。上野からおよそ三時間の旅であった。新聞はお兄さん二人と売店のおねえさん一人が運んでいった。駅員は二人が待機していて残ったコンテナごと運び出す。ついさっきまで荷物室だった空間はもう何ごともなかったかのようにふつうの客室に戻っている。
 ホームには「くろいそ」と書かれた国鉄時代からの行灯型の駅名標が立っていた。この付近ではあえてこの意匠の駅名標を残しているようだ。ただ取り残されたわけでないことは、所在地が「栃木県那須塩原市」となっていることからもわかる。
 改札口を出たところに売店があって、さきほど運ばれてきたばかりの夕刊が店先に並んでいた。
「新聞って本当にいろんな人の手で届けられるんだね。大切に読まなきゃいけないって思ったよ」
 みつこさんがずらりと並ぶ夕刊を眺めながらしみじみと言った。鉄道は人とともにモノや情報も運ぶ。いまではトラックに押されているが、そうした輸送の担い手にいまなお鉄道が使われていることが鉄道おたくとしてはやはりうれしい。

 この日は黒磯から北西へ十五キロほど山深く入った板室温泉の宿に泊まった。ところが冷房の効きすぎた電車に三時間も乗ってたからか体調が思わしくない。乗っているときはちょっと涼しいくらいだったのだが、あとになっておかしくなってしまった。みつこさんはあんなにくーくー寝ていたのに大丈夫だったようだ。美味しい料理をぜんぶ食べきれなかったのが心残りだ。温泉で身体を温めて早めに寝た。雨がザーザー降っていた。
 翌朝、那須塩原まで宿のおじさんに送迎してもらった。ワゴン車の中でいろんな話を聞いた。
「東北新幹線の駅では那須塩原が最後まで決まらなかったらしいです。国鉄は黒磯にしたかったんですが、西那須野が地盤の大物政治家が西那須野に持って来たかったそうで」
「沿道の植栽とかいまきれいに掃除してますでしょう。これやると、しばらくして皇室の方が御用邸においでになるんです。この様子だと二、三日後にはおいでになるでしょうね」
 駅に近づくと、新しいマンションがあちこちに建っている。建設中のものもある。「この辺も変わりました。新幹線で東京へ通勤する人が増えてますね」
 那須塩原から東京までの切符を買うと、東京〜黒磯間の切符よりやけに安くてびっくりした。東京〜黒磯間は一人片道三、○二○円、東京〜那須塩原間は二、五九○円。黒磯だと東京から一六○キロを超えるので値段が一気に四三○円も上がるのだ。中・長距離の切符は段階がざっくりしているから、わずか一駅でもこういう現象が起きてしまう。黒磯まで行くなら、いったん那須塩原で降りて、黒磯まで一九○円の切符を別に買った方がちょっとだけ安くなる。



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