| リストに戻る |
|
走れ!バカップル列車 第15号 急行かすが |
|
二 晴れて私たちは急行「かすが」に乗れることになった。それはそれはうれしいことである。 しかしどうにも釈然としない思いが残る。 何かが、おかしい。 気がつけば、みつこさんは洋服をたくさん買っている。去年の秋にはコートを買ったし、新年早々のバーゲンではワンピースを買った。こんどの春夏コレクションにも欲しいワンピースやパンツやジャケットがあるという。 私にしてみれば、そのコートで札幌往復できるだろう、そのワンピースで大阪往復できるだろう、と思う。 どれもみつこさんが自分で稼いだお金で買うものだから、文句を言えることではないが、それではなぜみつこさんには自由に使えるお金があるのに、私は自分で稼いだお金すら自由に使えないのか。 旅行に出かけるためには逐一みつこさんを説得しなければならず、「どこかに行きたい」と私が言っても、実現することは意外に少ない。 バカップル列車をはじめたことで、楽しいことはたくさん増えたが、バカップル列車を続けていくことで逆にそれに縛られて、かえって窮屈になってしまった。 かかりつけの医者に相談してみることにした。このお医者さん、何を隠そう私たち夫婦を「バカップル」と名付けた張本人である。 「先生は屋久島、親戚と行かれたんですよね」 「うん、甥っ子と行ったんだよ」 「そうですか」 「楽しかったなぁ。九州新幹線も乗れたし」 「ご家族は一緒じゃなかったんですよね……」 「まあね」 「……」 「行って来なよ」 「え……?」 「言いたいことはだいたいわかっちゃった。行って来なよ、旅行。一人で」 「い、いいですかね」 「もちろんだよ。家族との旅行も大事。でも僕なんか山登りも好きで、それには家族はつきあえないから、一人とか、仲間とかと行くんだ。そうやって使い分けることで解放されていくんだよ」 「そうですか!」 ウキウキしながら家に帰った。 「みちゃん」 「なに」 「おら、一人で旅行に出かけようと思うんだ」 「え」 「『出雲』に乗りたいんだ」 そうして医者から聞いた話を一通り説明してみた。 「じゃあ……」 考える間もなく、みつこさんはこう答えてくれた。 「行って来なよ」 医者の説明をもっと訊かれるかと思ったが、みつこさんは意外にすんなり許可を出してくれた。 「ありがとう。みちゃん」 「で、いつ行くの?」 「明日」 「ええっ!? そりゃまた、ずいぶん唐突だな」 「だって土曜だし」 「いつ帰って来るの?」 「日曜。明日、駅に行ってみて寝台券があったら、行こうと思うんだ」 「気をつけて行くんだよ」 翌一月二十一日、東京には朝から雪が降っていた。枯れ木ばかりだった飛鳥山は山全体が見事に白一色になっている。列車は一部遅れが出ているようである。 王子駅のみどりの窓口で、今日の「出雲」はあるかと尋ねたら、A寝台はないがB寝台はあるという。 これで「出雲」に乗れる。 B寝台の寝台券と終点出雲市までの乗車券を買って、いったん家に戻った。 買ってきた切符をしげしげと見つめる。これから乗る列車の切符を手に持って眺めるのは至福のひとときである。 「かっこいいねぇ」 隣でみつこさんが言う。 「なにが?」 「昨日、思い立って、今日、出雲に行くなんて」 「そこがいいんだよ」 「はあ」 「その身軽さが」 「よくわからんけど」 夕ご飯をたべて20時ごろ家を出た。凍結し始めた雪道をよたよたと駅まで歩く。 品川の車庫から回送されてくる「出雲」が入線するちょっと前に東京駅に着き、やって来た列車を先頭から最後部までしげしげと眺めて、暖房の効いた寝台車に乗り込んだ。 切符に指定された寝台は3号車10番下段。A寝台が満席というのが信じられないほど人気がなく、3号車の乗客は私一人だけであった。 寝台特急「出雲」は東京駅を定刻21時10分に発車した。 一人旅はひさびさなので、家を出るときはだいぶ緊張していたが、列車が走り出し、機関車の汽笛を聞きながら車窓を眺めるうちに、それも次第に解けてきた。 「出雲」は国鉄時代より長らく二往復体制で運行されてきた。山陰地方は新幹線や飛行機による東京との便があまりよくないなどの理由で、利用率の高い人気列車であった。 ところが一九九八年に一往復が個室寝台でスピードの速い「サンライズ出雲」(伯備線経由)となってからは、もう一往復のブルートレイン「出雲」の利用客が減少してしまった。それが今度の廃止につながったようである。鳥取県は東京直通の列車がなくなってしまうことから最後まで反対したという。 今日の「出雲」は、雪の影響で遅れることもなく、定刻通り走り続けた。 京都03時39分着。ここから山陰本線に入る。03時47分に発車するまでの約8分に間に、東京駅から東海道本線を走ってきたEF65形電気機関車が切り離され、DD51形ディーゼル機関車につけ替えられる。この真夜中にわざわざ機関車交換を見に来るのは余程の酔狂なのだが、少なく見積もっても二十人くらいの鉄道おたくたちが寒空のホームで交換風景を見守っていた。 京都を発車したら再び眠ってしまった。香住の手前から車掌のアナウンスが始まる。空はまだ暗かったが起きることにした。 次第に空が白くなった。7時ちょうどに香住を出ると、昨秋みつこさんと訪れた余部鉄橋を通過する。 余部鉄橋はあの時、もう最後だと思っていたが、どういう縁かまた渡れることになった。冬の余部の空は曇天で、秋に青かった日本海はきょうは濃い灰色に光っていた。 鳥取を過ぎ、左の車窓に見事な大山が見えてくると米子。そして中海、宍道湖畔を「出雲」は走る。 上り「出雲」では余部鉄橋はもちろん、大山も中海も宍道湖も夜間でよく見えない。私が下り「出雲」にも乗りたいと思った理由はそこにある。 終点出雲市にはダイヤ通り10時54分に到着した。 米子では快晴だったのに、宍道湖を過ぎたら雲が出てきて、出雲市に着くころにはみぞれ交じりの雨になっていた。 別れを惜しむ間もなく、ブルーの車体の寝台列車は、ベンガラ色のディーゼル機関車に牽かれて車庫の方に回送されて行ってしまった。 14時間近い寝台特急「出雲」の旅はそうして幕を閉じた。 「楽しかった?」 家に帰って、みつこさんが私に訊いた。 「うん」 そうして旅先で撮ってきたビデオを二人で眺めた。 「『あさかぜ』と一緒の寝台だ。懐かしいねぇ」 二人で出かける「バカップル列車」を基本にしながら、夫婦それぞれがほかの楽しみを持つことになったという意味で、今度の「出雲」一人旅は大きな転換点だったと言えるだろう。 これで「バカップル」が長続きするのなら、それ以上のことはない。 |
| next page 三 |
| リストに戻る |