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走れ!バカップル列車 第14号 特急はまかぜと余部鉄橋 |
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三 翌朝、みつこさんと私は大阪駅4番ホームにやって来た。 ここで09時33分発、特急はまかぜ1号が入線するのを待つ。 いま大阪駅構内は大規模な改良工事が行われている。隣のホームなどは乗客が入れないように閉鎖した上での大改修である。職人のおっさんがあちこち慌ただしく作業をしていて一見した限りはただの工事現場である。おそらく元は5番・6番ホームだったのだろうが、現在の5番・6番ホームは一本北側にずれてしまって遥か彼方だ。 早めにホームに着いて、はまかぜの前で記念写真を撮ろうと考えていたが、前に発車する電車は09時25分発の篠山口行き丹波路快速。はまかぜがすぐ後に入ったとしても停車時間は5分そこそこしかない。 丹波路快速を見送り、ちょっとやきもきしながらみつこさんと二人待っていると、09時31分ごろ、ようやくはまかぜ5両編成が京都方向からゆっくりとやって来た。これでは米原方面からの快速電車がちょこっと大阪駅に寄りましたという感じだ。 当然、記念写真など撮る暇はない。急いで列に並んで車内に乗り込んだ。 指定の車両は1号車。座席を探して荷物を網棚に載せるころには、もう列車は動き出している。 ずいぶんと慌ただしい旅立ちであった。 はまかぜは大阪と山陰の間を播但線経由で一日三往復走るディーゼル特急である。1号と4号が大阪〜浜坂間、3号と6号が大阪〜香住(かすみ)間(多客期は浜坂まで延長運転)、5号と2号が大阪〜鳥取間で運転されている。 鳥取ならまだしも、浜坂、香住と聞いて、どこだか見当もつかない人がほとんどであろう。東京の人が浜坂行きの特急に乗れと言われれば「どこに連れて行かれるんだ?」と不安になるに違いない。浜坂は「夢千代日記」の舞台となった湯村温泉の最寄り駅(バスで二十分)、香住は松葉がにの水揚げで有名な漁港と言われて、そうだったかなと思い出す人がいるくらいである。 山陰本線を走った最初の特急は、昭和三六(一九六一)年に登場した京都〜松江間(福知山線経由)の「まつかぜ」であった。そして昭和四七(一九七二)年に、このまつかぜを補完する弟のような役割で播但線経由で登場したのが「はまかぜ」である。愛称も「松風」に対し「浜風」と兄弟列車らしい命名である。 ところが昭和六一(一九八六)年、福知山線と城崎(現・城崎温泉)までの山陰本線が電化されると、この区間の特急は「北近畿」という電車特急にとって代わられ、兄貴分のまつかぜは廃止されてしまう。しかし電車特急北近畿は城崎までしか運転されないため、弟はまかぜは大阪と山陰本線の城崎〜鳥取間を直通するただ一つの特急としての使命を新たに授かることになったのである。 そしていま特急はまかぜが注目されるとすれば、国鉄時代に製造された181系特急形気動車を使用した唯一の定期列車(毎日運転する列車)だからといえる。 キハ181系は、中央本線「しなの」でデビューし、奥羽本線、山陰地方、四国地方で活躍した車両で、昭和四十年代に158両製造されたが、いまではJR西日本に32両が在籍するのみ。この32両が姿を消すのも時間の問題である。私にとっても今日のはまかぜが最後になるかもしれない。 大阪を発車した特急はまかぜは、500馬力のターボエンジンを轟かせ、東海道線の複々線区間を走りはじめる。 淀川を長い鉄橋で渡り、各駅停車を次々と追い抜きながら尼崎、西ノ宮、芦屋と阪神間の住宅地を軽快に走り抜ける。 三ノ宮、神戸と停車し、山陽線に入って兵庫で和田岬線を左に見送る。 須磨を過ぎると線路の脇はすぐ海となる。きょうは雲一つ無い晴天で、明石海峡が青く静かに輝いている。窓から差しこむ朝日がまぶしい。 松並木が見えて来た。 はまかぜは巨大な明石大橋の下を猛スピードでくぐり抜けてゆく。 車内は座席の三〜四割が埋まっている程度で比較的空いている。 ところが私たちのすぐ隣に座っているおっさんおばはんの四人組はさっきから大きな声で怒鳴り合って騒がしい。固定資産評価証明書なんかが飛び交っているので地上げ屋かと思ったが、どうも親族が亡くなって相続の話か何かでみんなが集まったので、ついでに城崎温泉に行くのだそうだ。そんなこんなもわざわざ聞き耳を立てていたわけではなくて、おっさんおばはんの声が大きいので丸聞こえなのである。 列車が明石に着くと、そのおっさんおばはん達がまた騒ぐ。右窓の丘の上に城が見える。 「あれ、姫路城? ね、姫路城だよね?」 「うん、姫路城だな」 ここは明石なのだから明石城のはずなのだが、そこらへんのことがよくわかっていないらしい。 西明石を通過すると山陽線の複々線の線路が複線に変わる。家並みもまばらになって田んぼが多くなり、心なしか風景ものんびりした雰囲気になる。 「みちゃん、ため池だよ」 この辺り降水量が少ないのか、ため池が多いようだ。 「溜池山王?」 みつこさんの通勤途中にある地下鉄の駅名が飛び出す。 「山王じゃないよ」 「あー」 姫路に着いた。10時41分着、10時45分発。ここで進行方向が変わり、播但線に入る。 播但線の線路は単線ながら高架線になり、姫路の街並みを取り囲むように左にカーブする。 「みちゃん、姫路城だよ」 ビルとビルの間から白鷺城と呼ばれた優雅な姿が見える。 「ほんもの?」 「本物の姫路城だよ」 明石城を見てあれだけ騒いだ隣のおっさんとおばはんは、姫路ではみんな居眠りしていた。 小さな駅をいくつか通過し、姫路市街を抜け、山陽自動車道をくぐったところで地上に戻る。このあたりから線路は兵庫県の真ん中を南北に貫く市川の右岸をくねくねと北上する。 ゆるやかな山に挟まれた谷の底に平地があり、田んぼが広がっている。特急はまかぜは、そんな何でもない田園風景の中を走ってゆく。 播但線は、播但鉄道によって明治二七(一八九四)年、姫路〜福崎間が開業したのが始まりである。兵庫県南部の播磨国と北部の但馬国を結ぶことからこの名がつけられた。線路は徐々に延伸され、そんな中で経営は播但鉄道を買収した山陽鉄道に受け継がれた。和田山まで全通したのは、明治三九(一九○六)年である。 福崎停車。デビュー当時のはまかぜは播但線内には停まらなかったが、最近は急行も廃止されているので途中駅も福崎、寺前、生野とこまめに停車する。 線路は市川に近づいたり離れたりしながらその流れをさかのぼる。すぐ脇を豊かな水を湛えた川面が迫るようなところもあった。 市川が別の川と合流する地点がところどころあって、平地が広くなり少し大きな町がある。福崎も小さな流れがいくつか合流したちょっと広い盆地にあった。そして市川に小田原川が注ぐところが寺前である。ここも比較的大きな町でこのあたりまでが姫路通勤圏となっている。電化もここまでで、駅構内には電車とディーゼルカーが並んでいる。ホームの脇には「播但線全線電化を」という看板が寂しく立っていた。 |
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